Thee Rang 跡地

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情報収集の質の変遷

 報収集のやり方が、ネット以前と以後で変わってきているような気がする。・・・というような事を、電車の中で考えてみた。というのも、電車に乗って、つり革に捕まって新聞を読んでいるごくごく普通のサラリーマンの姿に、何か違和感を覚えたからなのだった。

そのサラリーマンの熱心に読んでいる記事を覗きみてみると、そこには僕が前日の夕方にネットで読んだのとほぼ同じような内容が載っていた。あーこれ知っているなーと思いながら、その後その内容についてネットで色々と議論があったのを思い出し、反芻していた。

そして多分、そこで行われた議論のうちいくつかは、まさにこのサラリーマンの頭の中で行われている最中なのではないか?と考えた。そうなると、いずれ彼はその頭の中の議論に決着をつけ、彼なりの持論を打ち立てる・・・のだろう。そうして出社し、昼休みに同僚や後輩と談笑しながら、その議論をなぞって、持論を前提に会話をするのだろう。

ここで、このサラリーマンは、ある事件に対して以下のように情報を収集/消化した。

・出来事発生→翌朝→新聞で事実把握→持論構築→持論披瀝→フィードバック

しかし。考えてみると、僕らのようなスマホ大好きっ子は、同じ事件に対する情報の収集ステップが、一段階前倒しになっている気がする。どういう事かというと、事件が発生して、その日のうちに、↓のステップまで一気に終わらせてしまう。

・出来事発生→そのばでスマホで速報入手→時期に詳細情報も入手→事実把握→ネットで即議論やコメント閲覧→持論構築→SNSで持論披瀝→フィードバック

つまり、情報収集するステップが従来よりかなり前倒しになり、出来事が発生した翌日の談笑では、これまでより一層掘り下げた議論がさり気なく行われる事になる。相手が、自分と同じようにスマホをつかっていて情報が早いといった場合、互いに前提知識と一定量の議論を備えた状態で会話する事になるので、その場ではじめて入る人は置いて行かれる感じになったりする,、、という事もある。朝新聞で出来事をしったばかりの人も、その人の持論はすでに議論されていて、場合によっては間違いが発覚しているものだったという可能性が高まってしまい、ついていけなくなる。

お役御免メディア
情報収集媒体としてのテレビや新聞は、その一覧性(新聞を適当に開けばなにかしらの出来事について知る事ができる)や持続性(チャンネルをつけっぱなしにしておくと次から次へと新しい番組が流れていく)の特性は評価できるポイントだが、コンテンツ単独の中身の役割はもはやお役御免だといって構わないと考える。たとえばアメリカで企業同士の大型合併や倒産があったとすれば、その概要や詳細は、新聞、テレビに頼らずともネットで、現地のサイトでいくらでも手に入る。つまり、ある出来事について新聞をだらだら読むより、ネットで積極的に事実関係について調査したほうが、より精度の高い情報がより短時間に得られる…といった事は間違いないだろう。
これからの収集すべき情報
これからは、NETで即座に出てくる、単なる事実をあつめればいいという時代ではない。その事実になったのはなぜか、どう解釈するべきか、これからどう向かうのか、それはどのような価値観に照らし合わせるとどのように審理されるべきものなのか、そのような検討と仮説思考が重要になる。その為には、より多くの仮設や検証に触れる事が大切で、そのような情報を収集するのが、情報収集という言葉の意味/ニュアンスに置き換わる。

これらを意識し、日々情報と触れ合っていかないと、いつのまにか携帯の使い方がわからない高齢者のように、すぐに新時代の情報収集についていけなくなるのではないかと危惧している。