Thee Rang 跡地

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今更、成人おめでとう!

 人の日。多くの地域で成人式が執り行なわれ、振袖を着飾った晴れ着姿に街が一気に華やぐ一日だ。僕も8年前に成人式に出席した事を思い出した。久しぶりに会う中学や高校の友人と再会を喜び、お互いの近況を確認しあう間もなくまた他から声掛けられ…という目の回るような忙しい一日だったのを覚えている。何人かとは連絡先を交換したが、そのうち殆どはその後なんの連絡も取っていない。

 
 そういえば、成人年齢を18歳に引き下げようという議論がある。

 僕自身はこれに賛成で、政権与党にはぜひとも喫緊の議題として取り組んでほしいと考えている。一般的に賛否は半々に分かれるもしくは反対が過半数を占めるといわれ、現実的には難しいだろうが、そこは政治の力でぐいぐい押していってほしい。
 ちなみに一般的に言われる賛成論、反対論は以下の様なものだ。

○賛成論
 若者の政治・社会参加促進、少年犯罪の厳罰化
○反対論
 経済的にまだ親に依存している、判断能力が不十分、自分で責任が取れない

 政治参加はたしかに大事だ。これからは少子高齢化が一層進行していき、ただでさえ一票の格差が問題となっている今若者層の投票率の低さはそっくり若者層の不利益となって社会を住みにくくしている。世代間投票率の違いについては、これからは若者ががんばらないといけねーんだってさ、だから誰かがなんとか働きやすい環境を整えてくれるだろうと腕枕して待つというような若者の風潮は、年寄りの強欲さと狡猾さが想像できないのだろう。成人年齢の引き下げは、「年寄り」VS「若者」の世代間闘争を考えたとき、「若者」軍団に250万人(日本人の現在の18〜19歳のおおよその人数)の援軍を送られるようなものだ。これは心強い。逆に言うと、「年寄り」からすれば、おもしろくない。成年の自覚が早く芽生える事で、結婚・出生率の向上も期待できよう。
 また、少年犯罪への厳罰化はたしかに重要だが、これは理由とするには効果の及ぶ人数の絶対数が少なすぎ、局地的な影響にすぎない感がある。メディアで、19歳の少年が犯した罪を仰々しく扱い、本名から住所まで公開されることとなった…として、果たしてどれほど犯罪抑止効果があるだろうか。これで抑止されるような人間なら、そもそも凶悪犯罪などしないのではと考えられる。

 それ以上に、何より僕が成人年齢引き下げが必要だと思う理由とは、もっと現実的で打算的な理由に依る。
 ほとんど多くの若者達(6、7割)が20歳を迎え成人するのは大学1,2年生の時である。翌年、もしくは翌々年には就職活動を控え、意識の高い学生ならばそれをにらんで1つ2つアクションを起こさねばならない歳だ。勝負する相手は同学年の仲間たち、そして国外からの優秀な留学生達。ゆとり教育で甘やかされて育った日本人大学生が、今後世界で通用するビジネスマンとなる為には身につけなければならないことがたくさんある。英語や討論・交渉スキル、専門的知識はもちろんの事だが、なによりそれらに対する成功体験が最も重要だ。

 成年を迎えるという事は本人に大人としての自覚が備わるという事であり、世間としてもそのように彼/彼女を見るというけじめをつけるという事だ。それまで中学、高校、大学と親や教師の用意したルートに悠々とのっかって来たという状況から、大人として自分はどう生きていくのか、ほのかに薄暗い不安と焦燥を感じながらも自らの人生と向きあうというけじめだ。このけじめにより、初めて本人は自分で選択することを決意し、そしてその選択に責任を持つという事を認識する。彼らはそうやって何かに向き合い、成功するなり失敗するなりするだろう。そして運良く成功体験を収める事で成功の再現性を体得し、次のチャレンジで成功に向けより近道を選択するよう訓練される。この成功体験を、レベルの大小に関わらず一つでも多く獲得できた学生は、企業にとっても国にとっても、もっというと世界にとっても貴重な人材となる可能性がある。

 以上をふまえ、今より2年早くこのけじめと向き合い、大人としての経験を積む事は若者たちにとって決して悪い事ではない。
 「高校を出て大学に行くのは遊ぶためだ」という風潮が良としてまかり通っている現状は、制度として子供のまま大学生となる事に原因の一端があるのではないか?大学生となって2年たち、ようやっと成人式を迎えたときにはすぐ背後に就職活動がせまり、自分自身で考え、選択し、責任を取っていく準備などまだできていないというのが大半の学生ではないだろうか?彼らが18歳で成年し、けじめを自覚していたとしたら、大学入学直後から自由な発想で自らの進む道を考え、それに向けて建設的な準備が取れるのではないだろうか。そうできている大学生は、少数ではあるが確かに存在する。しかしあくまで本の一握り、無視できるといって言いほどの例外であるのがほとんどの大学の実情だろう。大半は過酷な受験を乗り越えるのに精一杯で、そして乗り越えた後は燃え尽き症候群と呼ばれる無気力病に苛まれているからだ。

 ということで、日本の大学・就職の制度を考えたとき、20歳成年制度よりも18歳成年制度のほうが、彼ら自身の経験・成長する力を助長するような気がしている。少なくとも、僕がそうであればありがたかったという気持ちがある。今年生まれる子ども達が18歳を迎えるころには、成人として扱われているだろうか…。そうであることを願いたい。