Thee Rang 跡地

https://solaponz.hatenadiary.jp/ 跡地

過ぎたるは一周まわる

 周回っておもろいとか、一周回ってかっこいいとかっていう表現がある。これはものすごく味わい深い表現だと思う。シニカルというか偏見とか排他感情とか厭世観が小粒で含まれていて、それでいて空気を読みながらその場で最適解の行動を取る事が美徳とされる、奥ゆかしい日本人の性格が表れている・・・とでも表していいのだろうか。そんな中に、一周回せてしまう人への憧れ、尊敬という感情も見え隠れしてもいるようだ。

他にも出る杭は打たれるとか、鳥も泣かずば撃たれまいとか、ことわざとして一定の枠から突き抜ける事を戒めるものがいくつかある。現代日本の世相にも社会的慣習にもマッチしていてそれはそれで良い。全員黒髪の職場で金髪で仕事する訳には行かないだろうし、いくら寒いからといっても満員電車の中で南極の冒険につかうような完全防寒スーツを着ているのはあまりに滑稽だ。こういうのは、良い。

ただ、これらは、一周回りきっていない。中途半端に突き抜けているので、悪目立ちして空気を乱す存在として認識され、排除の力学が働いてしまうものだ。

ここで一周まわったらどうなるか。

一周回るとは、どういう事なのか。

…これは、突き抜けた状態が、当然の場としてコンセンサスを得るという事だ。ここでいう場とは、前提だとか常識だとかの意味合いを含む。空気に対して存在する地面のようなものとして考えればいい。食事中の談笑であれ仕事中であれ、人々はみな、場の中で空気を読む。場は当然そこにその形であるものであって、その場にささった杭が平均的に揃って美しいかどうかが人々の関心を呼ぶ。

ここで中途半端に出っ張っている杭ではなく、いびつであっても、杭が伸びすぎてしまい、まるでその場に元からあった建造物として、当たり前のものとしてその場として扱われる状態…、これが一周回って○○という状態だ。

常識にさせる
出る杭で終わるか、一周回して場に同化させてしまうか、この二つは大きく違う。前者は排除される不名誉なものだが、後者は場合により尊敬されたり拠り所とされたりする名誉なものだ。場の同化には、複数の人間の認識の中で、ある一定の共通のイメージをもたせ、かつそれを皆が共有している事を皆が認識している必要がある。つまり、突出したイメージを皆に常識として認識させる事が重要になる。

このために、何かを一周回すためには、強い意志とともに調整力や行動力などの政治力、セレンディピティに恵まれるというような条件が必須となる。『自分が何によって記憶されたいかを考えろ』、とは、ドラッガーが幼い頃に胸に刻んだ言葉でもある。そうだ。


人はなにによって突き抜け、その突き抜けた事を常識として人々に記憶される事を欲するのだろう?
僕は何だろう?

この答えを見つけたら、生活も仕事も趣味も習慣も、きっと幸せという概念にじわじわと近づくよう、人生を進めていけるようになるのだろう。いずれ必ず死に至る人生、いかに一周回したいものを見つけるのか、どの本を読んでも書いてないし、誰が知ってるかも分からないんだよなあ…。