Thee Rang 跡地

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黙して歩け

 来より我慢する事は美徳だと言われてきた。曰く、

  • 石の上にも三年。(ことわざ)
  • ならぬ堪忍するが堪忍。(徳川家康
  • 臥薪嘗胆。(史記
  • 黙して歩け(武者小路実篤
  • 発言と沈黙との時を知るは大事なり。(セネカ

 社会に出て人と触れ合う以上、気に食わない事があったり怒りを覚えたりすることは日常茶飯事だ。ある人は思い切りぶちまけるし、ある人はぐっと飲み込んで我慢する。ある人は忘れ、ある人は何年も根に持つ。しかし我慢するという事はなかなか難しい。が、あえてそこを我慢する事でそれ以上事態をこじらせないようにする事も時には必要だ。
 小さい頃、男なら誰もが言われたであろう「男の子ならそれぐらい我慢しなさい!」という言葉。今では下手をすると問題発言となるかもしれないこの一言に僕は不条理を感じていたが、男の子失格と思われるのが嫌だったのでひたすら頬をふくらましてこらえたもんだ。そして、今では母がそう言う気持ちはよーく分かるようになった。
 もちろんただ闇雲に我慢は美徳だといいまわるだけというのは問題だ。それは時に悪習への隷従だとか、閉鎖的な人格だとかを育む土壌になる。しかし卑屈になる事と我慢する事は本質が異なる。『我慢』はその底に強さとプライドを必要とする。映画でも小説でも故事でも歴史でも、衝動を押し殺してでも守るべき物を守る忍耐を持つ人に、人々は感動する。
 と書いていて思い出したが、2006年のワールドカップの決勝戦のフランス-イタリア戦で延長後半途中に、フランスの中心選手・ジダンが相手選手に何かを言われた後、てくてくと歩いていって頭突きを食らわせて一発退場となった。僕は残念ながら見ていなかったのだが、おそらく異様な光景だったろう。彼は誰もが認める一流選手で、今回のワールドカップではMVPを獲得した。そんな彼の行為に世界が驚いた。何を言われたか分からないが、よほどの事だったのだろう。
 しかし殴りかかったり蹴ったり投げたりするのではなく、頭突きという所が奇異な感じがするがそこが彼のサッカー選手としてのプライドや精神的な強さを表しているようで興味深い。フランスの一部メディアでは子供たちになんと説明すればいいか分からない、という様な論調があるそうだが彼のようにプライドを持てと言えばいいだけの話だ。彼はサッカー選手である前に一人の人間であり、一人のムスリムである(らしい)。報道の通りそのどちらか、もしくは両方の尊厳を傷つけられたとすれば彼の行為は充分に理解できるものだ。そもそもフランス国歌のラ・マルセイエーズフランス革命の折にフランス各地より集まった義勇軍の誰かが歌い始めた鼻歌に歌詞がつき、広く歌われるようになったものが発祥だ。その勇ましい歌を試合前に歌い、決勝という大舞台で国を代表して戦う彼の精神的勇敢さは誰もが疑っていないだろうし、彼はその通りに戦い抜いたというだけの話だ。
 この件に関してはFIFAによる厳正な調査をしてほしい。レイシズム(人種差別主義)に反対する宣言を毎試合の開始前に選手が宣言する大会で万が一差別発言があったとすれば当然責任論になる。事実を究明ししかるべき措置がなされる事でレイシズム反対の宣言もその説得力を増す事になるだろう。
 話しは大きくそれたが他にも以下のような格言・諺がある。

  • 憤怒より自分を抑えるには、他人の怒れる時に静かにそれを観察する事だ。(セネカ
  • 重要なことは何を耐え忍んだかではなく、いかに耐え忍んだかである。(セネカ
  • 泣いて馬謖を切る(三国演義
  • 韓信の股くぐり(史記

 今日は腹が立つことがあったのでこういう内容になってしまったが、ここまでかいてようやくスッキリした。タイ人全般の口癖の「しょーもないことは気にしないよ!」という様な意味のマイペンライ(ไม่เป็นไร)精神にはまだ、程遠いんかな。。。。
 最後に 武者小路実篤の日記より。

 汝よ 恐れずに
 歩きたい処を 歩け
 さうして 見る人が見るやうに
 見させよ
 さうして 人々が何んと 云はふとも
 ただ黙して歩け
 それが出来なければ 小さくなって居よ
 誤解されることを恐れ 弁護の好きな
 確信のない 他人の言葉に
 動かされる 汝よ