Thee Rang 跡地

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エリート、エリート教育の必要性

 日のentryで、鶴見祐輔というエリートについてLogろうと思ったがやんごとなき事情により難しくなった。鶴見祐輔、及び『北米遊説記』についての詳細なLoggingはまたの機会に譲るとして、今回はエリート教育についてLoggingする事にする。
 日本にはかつてエリート教育制度が存在した。これは誰の疑うところも無い事実だ。
 しかして今の日本にはエリート教育が存在しない。 これもまた誰もが認める事実だろう。
 欧米諸国、欧米以外の諸国ではこのエリート教育が厳然として存在している所も多い。有名なものとしてはイギリスのパブリック・スクールの一つ、イートン校やフランスのグラン・ゼコールなどが頭に浮かぶ人も多いと思う。それはすなわち階級社会という現実を厳然とあらわすもので、「区別」の存在する社会だ。例えるならば、イギリスのパブリック・バーには、ブルーカラー達の席とホワイトカラー達の席の間に仕切りがある店がある。しかしだからといってブルーカラー達がそれを不満にしているかというとそうではなく、彼らはお互いがそのほうが楽なのだ。また、競馬場といえば日本では庶民の娯楽場というイメージだが、欧米では貴族たち、エリートたちの社交場でもある。彼らは他とはしきられた区画で観戦するし、また服装も全く異なるものだ。その区画に入るためにはもちろん通行許可証がいるが、警備員はいちいちそんなものをチェックしなくとも服装をみたら判断できる。一般人もその区画を見るが、羨ましいとは思わない。せいぜい、ファッションショーを見るような感覚だ。これらは極端な例ではあるが、いかに社会の中でエリートが認められているかを端的に示す話だ。
 ハナシを戻して日本に目を移すと、確かに戦前まではエリート教育は存在した。一高から東京帝国大学というのが黄金ルートだったし、軍人になるならば陸軍士官学校というエリート養成機関があった。明治維新以来、国際社会で日本をリードしてきたのは紛れもなくそれらの学校を卒業したエリート達だった。長い鎖国時代の後に外部的な圧力から国際社会へその門戸を開いた日本は、すさまじいスピードで欧米の文化を吸収し、改革を進めていき、明治政府発足の1868年から50年足らず後の、1904年には有色人種として始めて白人との戦争(日露戦争)に勝利した。この時代を主導したエリート達の功績は、賛否両論はある所だが結果としては非常に大きな成果を残したといえる。
 今の日本はエリート不在と言われる。原因はさまざまだが、その一つとしてかつて日本を覆った結果の平等主義があげられる。かけっこのときにみんなで一位のテープを切るという様な事をする学校もあったようだが、これに象徴されるように基本的に平等主義の学校教育で飛びぬけた才能を持つ子供は黙殺される。そのような子供は順調に行けば18歳で東大や国立大学の医学部に進学するが、エリートとしての自覚と教養を備えている人は稀だ。エリートたる自覚というのは、『ノーブレス・オブリージュ』、日本語に直すなら「高邁な精神」「位高ければ徳高かるべし」とでも言うべきものだ(ちなみにこのノーブレス・オブリージュとは僕の尊敬する李登輝台湾総統の著書「武士道解題」のサブタイトルでもある。この本も非常に感銘を受けた本のうちの一つなので是非お勧めしたいです!)。大衆と自分達とを明確に区別しながら成長しないと中々身につくものではない。大衆は永遠に成熟した判断が出来ないというのは頻繁に指摘されるところで、これはつまり多数の理論をつきつめるとポピュリズムに行き届くという事で、一般的な知名度や高感度が他人より高い人ほど大衆から支持されるという現実に見て取れる。しかし長期的に国家的なレベルでの展望を見越した判断ができる人物が、大衆の為に政治的、産業的に重大な決断が出来るという姿が理想ではないだろうか。例えば日産を例にとると、風前の灯火ともいえる状況からカルロス・ゴーンという一人のリーダーを向かえ劇的な改善を果たした。沈没寸前だったかつてのIBMは、ルイス・ガースナーという生粋のエリートを向かえこれまた経営の劇的改善を果たした。このような例は枚挙に暇がない。
 産業的に見ると、日本の高度経済成長期、まさに日本の企業は隆盛を極めた。しかしバブルの崩壊後日本経済はなかなか立ち直れず、20年たった今でさえようやく回復に向かっているのだろうかと辛うじてあやふや程度に思えるほど落ち込んでしまった。奇妙な事だが、このような日本経済の後退・停滞の始まった時期は戦前までのエリート教育を受けた人達が現役を退き、老いていった時期と一致する。
 さて、トヨタ自動車JR東海中部電力などの中部財界が設立した、海陽中等教育学校はイギリスのイートン校をはじめとするパブリック・スクールがモデルで真のエリート育成を目指しているものと思われる。このような画期的な試みは素晴らしい事だ。今後の経過を見守りたいと思う。しかし、中部に先にしてやられるとは東京は一体何をしているんだろうか。全く室町は言うに及ばず、江戸時代を通しても尾張は独特の勢力を保っていたが、このような画期的試みをいともすんなり実行するというところに中部の恐ろしさを感じる。事実、日本経済が落ち込んでいる中で名古屋は非常に元気である。昨年は万博まで開催してしまった。今年のプロ野球は中日が独走している。世界中をトヨタの自動車が走っている。これからの日本を引っ張っていくのは中部地方の人材かもしれない…。四国もガンバレ!!!
 …と、以上のような事をエリートでもなんでもない僕がweblogの片隅に書いたところでただの四方山話にすぎない。とりあえずはこれから産業界や政界を引っ張っていくリーダーの口から同じような内容が聞かれる事を楽しみにしていよう。