Thee Rang 跡地

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いじめという現象の体験と暴力

 くから問題視され、また最近特にいじめによる自殺者のニュースが多く、心を痛めている人が多いと思う。いじめについては色々な人がいろいろな経験をされている事だと思うので、100人いれば100の意見が出るだろう。そのうちの一つの意見として僕の考える事など。

原因

 様々なパターンがあるだろうが、大別して4つあるとする。

  1. いじめられる本人の特殊性によるもの。
  2. いじめる側の特殊性によるもの。
  3. 環境の特殊性によるもの。
  4. 以上のいずれかの組み合わせによるもの。

結果

 学童社会といえどもいじめによって、様々な状況が発生する。

  1. いじめられる本人の性格に影響を与える
  2. いじめられる本人の家庭に影響を与える
  3. 登校拒否、転校など学校に影響を与える
  4. 自殺や自傷など本人に身体的影響を与える
  5. いじめを克服する

対処

 当然このような問題には学校側や教育委員会の側からもなんらかの対処が下る。

  1. いじめを追及し原因を解決しようと試みる
  2. いじめる側を処分するか懲戒することで解決を試みる
  3. 双方の両親などと話合い解決を試みる
  4. 学童の責任者である担任などを処分する
  5. いじめの事実自体を隠蔽し問題を公にしないよう試みる



 と、大まかに考えてみた。解決策というカテゴリがないのは根本的にいじめは解決しないと僕は信じているから。ただ、当然対処療法というのは存在するもののケースによって最善の策を探るなどというのは難しく、多くの現場では生徒たちの自浄作用に期待するしかない状況になっているのが現実だろう。
 僕は、(僕も、か)中学校の三年間の間いじめの問題を常に目の前で眺めてきた。時にその矛先は僕に向けられることもあり戸惑ったが、しかし幸いな事に僕は体格も別に悪くはないし性格的にも言い返したりやりかえしたりできないタイプではないので、あまり問題にならないうちに自分の力で解決する事が出来た。具体的に言うと、僕がいじめグループにおちょくられるようになって一週間くらい経った時、掃除の時間に主メンバー二人をトイレの中でホウキで頭をしばく・ふとももの外側に膝蹴りを連続で食らわす(通称"ポンチョ")・という、ありていに言えば『暴力行為』によって解決した。別にグループで復讐されるという事もなかったし、これは決してベストではないのだろうが、しかしあの時に最も効果的な解決策の一つだったと今でも僕は考えている。それに、本当にいろいろな人に向けていじめが発生しまくっていたクラスで、たとえ主メンバーといえどトイレでしばかれたなどと分かると途端にいじめの対象にまわってしまいかねない状況だったので、そのような緊迫感も僕にとっては幸運だったようだ。
 が、誰もがそのように自分だけでいじめの対象から抜け出せるわけはなく、そこからは当事者となることはなくいくつものイジメを目の当たりにしてきた。僕のクラスは本当にひどいクラスで、一年間で6名もの児童が登校拒否になってしまった。そのうちの何人かはクラス替えにともなって復帰してきたようだったが、その後の消息をまったく聞かない児童も何人か存在する。転校したのかどうかさえ、知らない。
 こんな酷い状況をセーブできなかった僕は本当に情けない奴だったが、しかし僕もまだ子供だった。そして、担任は今の僕より年下だった(!)大卒の新人の女教師で、手に負えていないどころかガキどものいじめに遭ってうずくまって泣いてしまう様なタイプの典型的なまじめな教師だった。なので、逆にクラス全体のモラルの崩壊を助長してしまっていた。一度、彼女に頼まれてクラスのメンバー全員の名前とお互いの人間関係、力関係を表にして手渡した事があった。『こことここの二人を抑えれば、このグループはこういう風に動かせる、1,2週間でこういう風に変わるから次はこいつだけ呼び出して色々と話を聞いたら少なくとも女子と一部の男子の信頼は得られると思います』などと、当時横山光輝三国志にハマっていたらしいイタイ助言を添えたりしていた。(その多くは僕にとって有利な勢力図にクラスをもっていくためのものだった)。いじめを問題なくかわした僕にとって、いじめられていた子達の気持ちは軽いものだったのだろう。部活もちょうど忙しくなってきた時期だった。いまだにあの頃の事を考えるともっと出来ることはあったと後悔してしまう。
 体験談だけで多くを書いてしまったので、一般的な問題に対する僕の考えはまた次の機会に述べるとして。今でも僕は、いじめは暴力によって克服することも一つの有効な手段だと考えている。なぜなら、いじめは感情や習性、本能の問題であって暴力もまたそのようなものだから、だ。醜悪でみっともなくて軽蔑さるるべき暴力だが、国家間のいざこざや警察による治安維持も暴力が最後の手段となっているのは厳然たる事実だからだ。しかしこれも最善ではない。いじめの仕返しに、相手をナイフで刺し殺してしまったという話は現実として存在する。いじめと同様に、感情に駆られた暴力は危険だが、感情に駆られないと暴力は脅威でないというジレンマもある。うーん。僕は野蛮なんだろうか?野蛮だった事は確かだ。