Thee Rang 跡地

https://solaponz.hatenadiary.jp/ 跡地

断定と婉曲 (未遂)

 ーーーーー!!!
 長文エントリが消えてしまった。またや。やってm−た。あーーー。原因:つかってるブラウザの下のほうにあるフッタースペースの表示モードをクリックした事によって、デフォルトモードからなんやらスクリプトとかが動かない「セキュリティモード」とかいうのに切り替えてしまったため。更新され、フィールドに打ち込んだ久々の長文エントリーは消え去った。死んだろかな。
 おかげで、セキュリティと利便性の対立についてまた今度書こうかなと思った。
 消したままにしておくのも惜しいのでさっきまでまさに書いていた文章の要約をすると・・・

『日本語は、断定表現よりも婉曲表現のほうが好まれるんだよ!!金田一春彦先生もかいてたよ、そもそも断定はうさんくさいよ、でもこのブログでは結構断定表現つかってるよ、でも文章っていうのは人と違って紙だし読み手はコミュニケーションは期待しないんだよ、だから断定表現を使わないと逆にうざくなるんだよ、婉曲的なWEBLOGなんておもしろくないよね!!だからこのWEBLOGをよんでTOSHIROという人間はこういう奴なんだ、と考えてはだめだよ、直截に過ぎるからね!こういう事を考えたり言ったり「しかねない」人なんだ、とでも捕らえてもらえるほうが事実に近いんだよ、よろしく!!(あ、一応いっとくけど、上で言ってきた断定とか婉曲の善し悪しってのはあくまで一般的なコミュニケーションにおける概念的な価値観についていっているのであって、たとえば組織のトップは断定的であらなければならないし価値観というのは断定から生まれる事のほうが多いので断定も使い方によっては効果的だし必要な事もあるんだよ、と付け加えておきますよ!)』

というような感じだった。要約しすぎたかな。
 何かについて、何かを書くとき必ず要約レベルというのが存在する。これを上げたり下げたりすることで読者の理解度や文章の長さ、印象強さ、説得力、そういうのを調整出来る事がある。↑の要約を見て、はたしてどれだけの人が僕がさっきまで書いていた長文の内容に肉薄できるというのだろうか!??要約の仕方が適当なのは、あまりにも失望してしまったからという事やね。



以上を踏まえて書きたくなったこと、書いて欲しくなたこと

  1. セキュリティと利便性の対立について、具体的事象とか体験談とかメリデメとか、それが世界に与える影響の妄想とか
  2. ある人間の言葉と文章の性質の違いや共通点、そしてそれを通してその人をどこまで理解できるか(例:『ネット弁慶』、『何回か耳にしたことがある「あの人、話すると普通(もしくは悪印象)なんだけど、ブログすごいおもしろいんだよー」という言葉』など)。
  3. 断定が効果的な場面いくつか、そしてその時どういう効果をどのようにもたらすのか。
  4. 要約レベルの調整の仕方、具体例、うまい要約とは読者にどういう影響を与えるのか、キャッチコピーとかCMとかも一種の要約として捕らえたらどうなるか、とか。

 WEBLOGは好きなことが書けるから好きだ。毎日書いても、次々と書きたいことが出てきて忘れては書いて忘れては書いての繰り返しだ!!!おもろすぎる。良い時代になった。