Thee Rang 跡地

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食べても一人

 の間、どこかの偉い人が、「食堂で一人でご飯を食べる人をみると不愉快になる」といったそうだ。僕がみたのはこの抜き出したワンフレーズだけなので、どういう状況でどういう文脈で使われたのかは分からないが、思い出してみると確かに大学時代に絶対に一人でご飯を食べない人達というのは確かに存在した。
 僕は以前から、人と一緒じゃないと学食でご飯を食べられない人が不思議で仕方なかった。
 なぜそういう人たちは一人では食べられないのだろうか?学食の使い方が分からないから作法を間違わないかどうかが心配だから、とか人と一緒に食べたほうがおいしく感じる、とか、一人ではいけないようなレストランなどに行かなければならないから、とかならなんとなく分かる。だが、学食の使い方なんて普通知ってるやろうし一人で食事の味を楽しめないと思う人は誰かと食べても同じだ。飯を食っていて人が旨いと言えば旨いと言い、不味いといえば不味いと言うのならばそもそも旨い不味いを口にする資格が無いと言って良い様に思う。周りもそう思っているだろう。
 そもそも大学なんて、高校などと違いクラスも学部もばらばらなのに友達らと昼飯の時間が必ず合う訳などない。げらげらと陽気にお喋りをしながら気の会う仲間とご飯を食べたいのはもちろんだろうが、どうしたって時間が合わない場合は存在する。サークルの溜まり場などを持ってない限り、特定の仲間と時間を合わせて昼食を取るというのはなかなか難しいだろう。
 一人で旅をすると、当然食事も一人という事になる。誰かと食べる場合ももちろんあるが、多くの場合は一人だ。僕は一人で食べる食事も大好きで、ゆっくりと味を楽しみながら、店の中の雰囲気や装飾、店員さんの働き方や客層、外に見える道路を通る人々や木々の葉っぱを目に焼き付けるようにしながらご飯を食べる。旅の予定を考えたり今まであったことを振り返ったり、旅の中でも一人で取る食事というのはかけがえの無い時間だった。
 学校でも職場でも同様で、一人で食事をするというのはリラックスしてものを考えられる貴重な時間だ。極端に言うと、一人で食いながら料理の写真を撮り、食材をメモ帳に書き込みながら料理を一口口に運ぶごとに鉛筆を動かす、といういうような食事をするのが趣味という人は大いに一人の食事を楽しんでいると言える。そういう人をみて不快感を覚えるという人はなかなかいないだろう。
 僕ももちろん友人達と連れ立ってあれやこれや良いながら食事をするのは大好きだ。うまくても、まずくても笑い話になる。しかし、一人で食べていると周りから笑われるだとか、友達がいないんだと思われるとか、そういう妄想をする事は大変に愚かなことだ。大抵の場合数人で食事をしている人たちは周囲の人間に興味などないし、笑っていたとしても彼らは自分達が一人で食事をする場合の事をまったく考えられないか、もしくは『食事は一人では決して楽しめないものだ』という信念を持っている別の人種だと考えて良い。
 一人で食事を楽しめる。
 それは食事を楽しめるという事と、誤った集団意識に毒されていないことの証拠だ。
 もっともっと、一人の食事を楽しんでいく風潮にならんかなー。