Thee Rang 跡地

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東日本大震災

 14:30、東京都大田区にて会議予定。着席し、つつがなく会議は進行。残り20%程になった段階で、ゆるやかな揺れを感じる。
地震か?地震だ、揺れてる。」
最初はそう話し、どれくらい続くのかと一同しばし息を潜める。
揺れが多少強まり、座っているキャスター付きの椅子が揺れる。

97年の阪神大震災のとき、僕は香川県で寝ていた時に揺れを感じた。ゴゴゴ・・・という音で目が覚めたので、揺れがどの程度だったかはハッキリと憶えている。
それが震度4だったので、僕が今までに感じた最大震度は4という事になる。

会議室で座っていたからか、今日の揺れよりは小さかったので、
「これは震度…3くらいですかねえ。」
「震度4はあるんじゃないですか!?」
「3くらいでしょうね」
などという会話をかわしつつ、揺れが強まってくるのを感じる。

すぐに関連部門に連絡し、お客様の業務に影響が出ていないことを確認した上で、会議を中断。この時点でまた大きく揺れていた。

家族に電話するも不通。

オフィスに戻り、情報収集のためネット接続。

もっとも情報が早いのは、2ch。ニュース速報板にてかなり大きい地震が東北方面で発生したという事を知る。しかし、他に情報はなく待機。

しばらくして、これもやはり2chにて津波の情報がはいる。大津波警報が出ているのは知っていたが、既に街が飲み込まれているという事を知る。テレビのキャプチャ画面と、Twitterのキーワード検索にて状況を徐々に把握する。

人によっては、速やかに自分の業務に戻っていた。おそらく、ちょっと長めの地震があった、くらいしか認識しておらず、黙々と作業を進めていた。


後輩や先輩と共に、PCで津波の映像に見入る。
車が魚のように川を逆流し、濁流が街を飲み込んでいくのがはっきりと映っていた。


大火事だった阪神大震災とは違い、大洪水だった。被害規模が明らかになっていない段階だったが、津波の影響を考えると映像と同様の規模の津波は至る所で発生しているだろうと推測された。リアス式海岸は、津波被害を甚大にすると習った記憶がよみがえる。

業務にて確認作業と報告作業に追われ、職場を後にする。
家に戻ったら、巨大な本棚が大きくずれており、自慢の古本コレクションが散乱していた。洋服だなはゆれで背面板が落ちてしまい、洗濯機の上のラックは落ちてしまっていた。

阪神大震災の時もそうだったように、食い入るようにテレビに見入る。津波によって無残な姿となってしまった東北の町の映像が出るたびに、絶句する。津波の威力にも、原発のリスクにも戦慄を覚えた。余震が来る度、これからどうなるのだろうという不安がよぎる。

昔から、大津波の言い伝えというのは聞いたことがあった。しかし、「山のような波」「10〜20mの巨大な波」などという描写は全く想像がつかず、正直誇張や仄聞が多分にあるものだろうと思い、現実的に捉えていなかった。これは僕だけでなく、多くの人もそうだったのではないだろうか。
しかしこの日、ハイビジョンカメラで、むごたらしいほどクリアな映像の中で、伝説の津波が想像を絶する猛威をふるっていた。10m以上、場所によっては15mにも達したであろうと言われている津波は、2004年にプーケットでみたものとは比較にならない規模で町を飲み込んでいた。黒い波が生きているかのように田畑をかけまわり、家もビニールハウスも車も、全てを飲み込んでいった。逃げ遅れた車が波に飲まれる瞬間が、なんども映っていた。

いつでも家を飛び出せるように、予め用意してあった防災リュックの中身をUpdate。貴重品をまとめ、靴下をはいて外に出れる姿のまま就寝。何度か寝床でも余震を感じた。