Thee Rang 跡地

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緊張のダイナミズム

 こだ!!きた!!!うわーー!!

みたいな精神状態になることが、年に何回かある。平凡なサラリーマンである僕に何回かあるくらいなので、きっと他のみんなには月一くらいであるんだろう。例えば初対面の人と話すとき、例えば衆目の中重要なプレゼンを任されたとき、例えばスゴイ人と話したり何かしてあげたりするとき、例えば意中の人とふたりきりになった時、たとえば自分の遺伝子を分けた子供が誕生した瞬間。

普段、何気に朝起きて、いつもと変わらず歯を磨きヒゲを剃り朝食を食べ、いつもどおりの電車にのっていつもの大学・会社へと行く。
人間の生活はこのような単調な行為の繰り返しが多くを占めるのだが、そういう、いつもの生活の中で、たまーーーにとても予定外だったり想定外だったりする事が起こって、自分の石とは裏腹に身体が固まり意識は焦り、思考はにぶって、怖くなる。緊張だ。


日常の線上にふと現れるこの緊張する瞬間は、人生のダイナミズムそのものだ。

緊張から成長
地球が地球であり人間が人間である以上、生まれないものも無ければ死なない物も無い。たかだか数十年の人生なぞ、ヒトの歴史にすればとても短い瞬間だ。しかし、その短い一瞬の中に、ヒトは喜びや悲しみを見出し、喜びや恐怖を感じる。ヒトがただの仕組みとして存在させられているのではなく、自らの意志で自らの存在を肯定している事の証といえる。ヒトがその他哺乳類と大きく異なる点だ。『生のダイナミズム』ではなく『人生のダイナミズム』と僕が考えたのはこれによる。

ピアノの発表会、部活の大会、バンドのライブ、受験、就活、会社生活での数々の体験。

過去の自分の中のパラダイムシフトを振り返れば、そのほとんどにものすごい緊張が伴っていた。しかし、結果がどうあれその緊張を乗り越えた自分には何かそれまでの自分とは違う自信がついたように感じたし、成長できたような気がした。「あれだけのことをやったんだ」っていう意識は「じゃあ次はこれをやれる」って意識に繋がるし、「あれだけの事をやったけどだめだった」って意識は、「あそこがダメだったから次はうまくやるようにしよう」っていう反省に繋がる。

緊張で成長が得られるならば、緊張がない所に成長はない。緊張と弛緩の繰り返しにより人間の精神は鍛えられる。

緊張はいい事?悪い事?
緊張する事は、生物的には不幸な事かもしれない。食うか食われるかの争いをしていたような頃からすれば、ほとんどの緊張が必要無くなった現代社会は、御先祖様達からすれば理想的な社会となっているのだろう。しかし人を巻き込んで社会を変えるような人達は、緊張を通して自分を成長させて行く事を怖がらない。

逆説的になるが、そうであるとすれば、緊張に恵まれた環境は幸福といえるのだろうし、そうでない環境にあっても、自分で緊張を作り出すことはできる。僕の思い浮かぶスゴい人、スゴい奴は、思えば、この緊張を作り出しそれを乗り越える事に楽しみを見出す種類の人が多い。世の中のほとんどの人間は、頭の中でつくりあげた緊張を嫌うし怖がる(そして人間社会のシステムはそれを最大限回避するように設計されている)けど、そこをあえて突っ込んでいって血まみれでニコニコしているようなイメージ。

緊張の最中の
あの、ヒリヒリしたような、どうにでもなれ、とでも言うような感覚にはいつまでたっても慣れることはない。
なので、自分の考え方を変えるしか無い。

緊張するときは、自分のその反応をおもいっきり楽しみ、それをやり終えた後の自分の成長にワクワクしながらビビれる男になりたい。