Thee Rang 跡地

https://solaponz.hatenadiary.jp/ 跡地

肢体

日といえば一体他人は何をしているんだろう、と気にしたことはないだろうか?多くの人が土曜日、日曜日を休日としていると思う。それぞれ思い思いに自分の時間をすごしていることだろうと思うが、しかし他人と過ごす時間はまだしも一人で過ごす時間というのは他人のそれはまるで神秘である。僕は休日に一人でいることが嫌いではない。一人でいるときに時間はゆるやかに流れるような気がする。たとえば、自宅で人と過ごす休日にカーテンの汚れには気づかない。誰かと街で遊んだ休日に、二回も洗濯をしたりすることは稀だ。一人の時間を持つということはそういった普段は目の行かない部分に目をやり、いつもはできない事が簡単にできる特別な時間である。まあしかし、あまりに長く感じすぎて退屈に思う時もある。そういうときはたいていとっかかりのなかった本を開いてみると自然と流れるように時間が進む…のだが、時代の流れなのかどうかは知らないが最近はもぱらブラウザを開きあらゆるニュースサイトやお気に入りのホームページなどをむさぼるように読む。はっきりいって、活字中毒改めユニコード中毒とでも言おうか、液晶モニタに見たこともないニュースや一生会わないであろう人間たちの考えや叫びを覗き見るのは無類の楽しみである。
話題は変わるが人間は歳をとるごとに時間がたつのが早くなると感じるという。うそか本当かは知らないが生物学的に立証されたと読んだ事もある。それとは別に、理屈としては五歳の子供は人生の5分の1が1年、30歳の人間にとっては人生の30分の1が一年、なのだから単純に考えて後者は全社よりも六倍時間の流れが早いと言える。という眉唾物の主張だが、、、だがだれしもが何かしら心に感じるものがあるのではないだろうか。何がいいたいのかというと、平日というものはあっという間にすぎていく。自分の時間ではなく就労の時間、学業の時間をすごしているからである。つまり蓄える時間だ。これが週に五日あり、歳をとる毎に縮んでいく短い一年の7/5である。残りの7/2については言うまでもない、いわんや休日をや、だ。僕のリズムでは、休日は蓄える時間ではなく垂れ流す時間、また形作る時間だ。平日に蓄えたものを、自分の楽しみや都合のために休日に形にしたり活かしたりするのが理想である。人間らしい人生とは勉強の連続というならば勉強は7/5でいい。7/2は勉強を忘れ自分の本能のまま、したいがままにするのもまた人間らしい生活だ。ずっとぼーっとしたり、なんとなく街にでてどこかに座って何時間も回りの様子を見つめていたり、ものすごく天気のいい休日にお気に入りの本をよんでいたら結局その日は太陽を一度もみなかったりしても何にも気にする事はない。一日中ねた時間なんてすばらしいじゃないか?もっとも贅沢な過ごし方をした事を目を覚ましたときに誇るべきだ。誰しもがそのような一日を願うが、人間の本能や習性、社会の慣習やしきたりによって夢の外に出て思い肢体を硬い筋肉で動かしているのだから。だから惜しげもなく言うが僕は今日一日中寝た。このところずっと雨が続いていたが、久しぶりに雲ひとつない快晴だったらしいが、関係なく寝た。乾ききった砂漠のような毎日の中で十年も続く雨の中心に立ち荒ぶる大河となった後に小さな水溜りが残ったような!
今日もこの贅沢な時間を幸せにすごせた事を感謝!