Thee Rang 跡地

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手紙

「手紙を書くわ そうやな それがいい 手紙書くから 住所教えてちょ」と、一年来会ってない大学の頃の親友はメッセンジャーで返信をくれた。僕は住所を教えて、こちらからの返信も約束してからウインドウを閉じた。
 っていう事がありつつ考えたけど、やーっぱりeメールとかメッセンジャーとかじゃ伝えられない感情ってあるよなー。たとえば一年来の親友との会話。例えば恋人同士の熱い語らい。例えば普段の家族への感謝の思い、友人への感謝の思い、たとえば口では出せないお詫びの言葉。まったくコミュニケーション手段として電話や電子メールは発展してきたわけだけど、ある意味コミュニケーションを阻害する要因にもなり得るというのはある種語り古されたネタなので置いておくとして、みんな手紙でしか伝えられない、伝えたくないという感情を抱いたことが、どれくらいあるのだろう?僕が最後に手紙を書いたのは、確か旅行先の安宿のラウンジで一緒に映画(Lost in translationという日本を舞台とした作品で、ラストシーンで弊社のビルが高速道路を滑るカメラからちらっと見えるところが笑えた。)を見たドイツ人に、出立の日に置き手紙をした事だろうか…。もう半年以上前の話だ。まったく恥ずかしい限りだ。。
 手書きの文字には別に社会人に限らず学生とかフリーターとかおじいさんとかの、毎日毎日をなんとなく過ごして砂漠のように乾ききってしまった感性を、揺さぶり起こす力があると信じている。字は心の窓という言葉、行間を読むという言葉通りなんとなく手紙にかかれた文字をみたら書き手の精神状態や思考ルーチン、どこでためらって筆を迷わせたかどこはスラスラと書いていて本心が素直に現れているかなどが明確に現れる。まさか携帯のしょっぼい解像度の電子メールでそんなのが読み取れるわけないし、解像度が高くてぴっかぴかのなめらかフォントのマッキントッシュ上でもそれはもちろん同じ事で所詮は2バイトないし1バイト文字の羅列だ。
 女のカンというのは女性独特の感性から普段とは違う行動パターンなどを読み取り恐るべき結論がはじきだされる離れ業だが、古来より女性がラブレターを好む修正は案外こういうカンが関係しているのかもしれない。電子メールから色々な事を邪推されるまでになると日本紳士の一員として恐怖を感じ得ないが、しかしそれでも見破られるというのはマヌケな男だ。自分の考えを伝えようとしたり相手が伝えようとしている事を考えようとしない人だったりするんだろーな。
 今日は言いたい事があって書いた訳だが果たして僕は伝える事ができただろうか。おめーらそういう手紙で伝えたくなるような感情とか感性を大事にしような!!って事と手紙って思った以上に自分がさらけ出されるからヘタクソだとめっちゃ恥ずかしいし好きな女の子にも振られるぜ、逆に手紙を書くのが上手だとモテモテ過ぎで困るぜ、、、という2点。あとは雑談。
 というわけで、その友人の意外な申し出が嬉しかった。今か今かと到着を待つ日々、良き哉。