Thee Rang 跡地

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教育

 育については色々な人が色々な事を主張している。そのそれぞれに理由があるだろうし時代によっても変わるものなのだろうが、この教育という分野において現在ホットなキーワードについて思った事がある事ない事を。
 国語教育 最近ベストセラーになった「国家の品格」の著者、藤原正彦氏の「祖国とは国語」を読んだが要は初等教育においては国語に重きを置いて教育せよという事だった。ちなみにこの筆者は10年近く前からファンだったのでようやく世の中に認められた気がして嬉しい。まあそれもそのはず、「流れる星は生きている」の藤原ていと富士山観測所にて天気予報の発展に大きく貢献し小説家としても知られた新田次郎の息子というサラブレッドで、東大を卒業し御茶ノ水大学で数学の教授をしながらも執筆活動を続けていた。それなりに本は出ていたのでファンはそこそこいたのだろうと思うが、僕は高校以来、実生活で藤原正彦を知っている人には一人しか会った事が無かった。昔から主張は一貫しており、武士道ブームや現在の愛国ブーム?笑 など、世間の世論は一歩遅れて彼の主張を追っているように見える。簡潔な文体で質実剛健に書き進みつつも感情的な客観表現をうまく盛り込んで読者の感性を刺激する感じで、分かりやすく読後感もいいのでベストセラーになるのも当然だ。著者紹介が長くなったが彼は国語教育が数学や英語力の源となると主張し、早期英語教育なぞ必要ないと声高に主張する様はまことに痛快でいてその上商業柄か論理的だ。
 英語教育 かと思えば文部省による早期英語教育の推進という現実もあり、とうとう小学校においても英語教育が始まる日が来るのかと思うと自分の頃と比較してしまいどうも想像するのが難しい。確かに英語になじむには早いほうがいいのだろうが、しかし小学校で英語をやったからといってそこまで上達に差が出るか…?逆に英語力の格差を生むのではないか…?教師は教えるに値する資質を持っているのか…?などと疑問に思うことしきりである。別に上記「祖国とは国語」での主張を繰り返している訳ではないが、なんとなく疑問を感じてしまう。小学校から英語を学んでいる国は他にいくつかあるが、その人たちと話をしてもあまり英語がうまいとは思わなかったという個人的体験にも拠るものだ。ただし、同じ体験に拠って言える事は、学力のトップ層は確実に英語を格段に上手に扱えるようになるだろう。つまり底上げはされないが天井は上がるという風になると個人的には予測している。このことから、英語力を伸ばす余裕のある子に対して時間外という形で授業を設けるのが納得のいく妥協点かなあと考えてみた。体験によって導き出された結論なんてしれたものだろーが、でも英語力なんて体験するしか実感することなんてないしなー。
 体罰 今の同期たちって体罰を受けた事があるぎりぎりの年代じゃないだおろうか?ニュースを見てると、教師が生徒の顔をぶったりひざげりを食らわしたりして停職とか懲戒解雇とか、全く意味の分からない話だ。僕自身がそうだったから強く思うのだが、子供は動物として扱った方がいいと思う。極端に言えば三歳未満の子は、言葉で怒られても何が良くて何が悪いのかを判別しにくいというかできないだろう。例えば這ってストーブに近づいた時に母親が強くぶつのは正しい体罰だと思うし、同じように小学校で授業そっちのけで隣の生徒に迷惑をかける子供の頭上に辞書の角をお見舞いするなどは正しい体罰だろうと思うのだが、いかがだろうか。悪い体罰というのは、生徒の耳を平手でひっぱたいて鼓膜を破ったり、床に座らせている生徒を蹴ったりと相手の人格を無視したり身体に障害を残したりする程のものを指すと考える。少なくとも教師に向かって失礼な口をきき、あまつさえ暴力を振るうという生徒に対して体罰で臨むというのはまっとうな教育者だと思うのだが、そのような教育者は処罰され追放される。見てみぬ振りをして放置する教師、陰湿に報復や制裁をする教師ばかりが残る。問題だと思う。ちなみに僕は高校の頃の部活で散々体罰に遭っていた。しかし今考えると良い体罰だったと思う。それくらいアホ猿だった僕は規則や集団というのをナメていたし、それでは決して強いチームにはなれないし成果も残せないという事を文字通り身をもって思い知ったからだ。もちろん前述のような悪い体罰は一切無かった。幸いにして先輩からの理不尽なしごきや陰湿ないじめ、嫌がらせ等は無い部活で、今でも良い思い出である。従って僕の体験によると地元随一の進学校と言われる高校でさえ叩かれなければ分からない僕の様なサルがいたのだから、体罰全てを問題視する今の風潮というのはどうにも不安になる話だ。
 愛国教育 こちらもホットな話題だ。愛国という言葉は現在日本では非常に使いにくい言葉だ。しかしアメリカでは多くの人間が公言して憚らないし、お隣韓国では愛国者でないと理不尽な裁判にかけられてしまう恐れもあるし、人権が保証されない場合がある。中国においては愛国無罪という、国を愛するが故の犯罪は罪に問われないというよくわからない標語まで登場している。日本人にも愛国心を育てないと国が滅びてしまうとお偉いさんが心配したのかどうかはしらないが、愛国心をはぐくむ教育を学校で行おうという動きがあるようだ。これも英語教育同様首をかしげてしまう。そもそも愛国心というのは言葉の定義すら曖昧だが、どこかで聞いた話によると国と郷土を愛する心とかそういう意味で捉えればいいらしい。愛国心というのを通知表の項目に設けた学校もあるとニュースで流れていたが噴飯ものだ。ただし気持ちは分からないでもない。だが愛国心というのは教育して叩き込むような安っぽい物では無く、家庭において成長する間に自然に育まれるものなのではないだろうかと思う。家庭を愛するからこそ郷土を愛せる。郷土を愛せるからこそ国家を愛する心が生まれる。つまり愛国心を学校で教えようなどとはまことに筋違いで、国や自治体は家庭に対して対策をうっていくべきじゃないだろうか。でも具体的にどういう対策があるん?と聞かれてもいいのが思いつかないので、略。孫に「ワシは戦争でこれだけえらい役職でこんなに活躍したんじゃ」って嘘を教えるじーさんを量産するとか!?(笑)ちなみに僕はじーさんから戦争の話を色々きくのが大好きだった。しかし学校では何人虐殺しました、こういう残虐行為を行いましたとかいう話しか聞かせられない。おもんないとかを通り越して、もはや悪趣味の領域だろそれっていう。もっとワクワクする話を学校ででもしてくれっていう話。
 教師の質の低下 良い教師悪い教師というのをどういう風におくか、どういう評価基準を持って評価するかによって大きく意見の異なる所だが、あくまで一般論を。体罰の項と被る点多し。特記したいのが、教師の世界の狭さ。多くの教師は大学を卒業し新卒ですぐに教師となる。しかも教師の親が教師だったり、その逆だったりと割りと世襲的な流れが存在する世界だ。それはそれでいいとは思うのだが教育の現場しか知らないというのは問題だ。なぜなら教える子供達の中で教師になる人間は数パーセントにすぎない。彼らには最適な教育を与える事ができてもそれ以外の子に人間の先輩として最適なアドバイスが出来るだろうか?生徒の家庭環境や友人関係について最適な考察が出来るだろうか?ヤンキー上がりの先生というのがたまに話題になったりして、賛否両論があるようだが人間臭さを知り尽くした人間が良識のある教師として人間を育てるほうが、預ける側としてはよっぽど安心して預けられると思うのだがどうだろうか。大学生の頃、教師を志望する人間はたくさんいたがその中でも「きっといい教師になるだろーなあ、適格だね!是非うちの子を預かって欲しいね」と思った人はごく少数である。こんな人が教師になるとはとんでもないと思った方がはるかに多かった。しかしさらに驚くべきは、そのような人々のほとんどが実際に教師になれるという事である。彼らは今自分達で声を大にして自白している。「教師達の世界は本当に狭い。第一、出会いが全くない。」と。
 学級崩壊 ちょっと長くなりすぎたので また今度の機会にしよかな。。。教育現場だけではなく家庭との連携がもっとも大事とかそういう事を書くつもりだったが今更感もあるし読む人がしんどいかなと思った。