Thee Rang 跡地

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ジンベエザメと

 いだ事はありますか?僕はあります。ちなみに、世界最大の魚類です。ダイバー達の憧れのあんちくしょうです。以下小説風味

 その日、何かが起こるような予感はしていた。いつもなら大量の魚群、美しい岩礁の中で40mも潜れていたチュンポーン・ピナクルでその日に限って流れが異様に速く、サーモラインも上がっており全く楽しくないダイブだった。波は朝から高く、船はまるで遊園地のアトラクションのように揺れ、船酔いで気分が悪い人も多いようだった。たまにはこんな日もあるかな、海の神様はきまぐれだ−−…と僕はのんびり甲板に寝転がってビスケットとパイナップルをかじっていた。タイの風は暖かい。そしてタオ島の緑は、美しい。目の前でイチャイチャする西洋人のカップルが憎たらしい。そんな事を考えながら、飲んでもいないのにどんどんこぼれていくコーヒーを必死で飲んで、港への到着を待った。

 港が近づいて来ると、機材の片づけを済ませ、ウェットスーツを脱いで一息つく。一緒に潜ったインド人でアメリカ在住のA.Jayと談笑しながら少し気分の悪そうなバディのダイスケを慰めていたところ、不意に船上にどよめきが起こった。次の瞬間聞こえてきたのは、イントラのTOMOさんの叫び声。
 「ジンベエ!!!ジンベエ!!!」
 それを聞いた、僕たちと同じく船上にいたイントラ達があわただしく動き回る。「飛び込め!そのまま!!フィンとマスク!!」僕は何が起こったのかも分からないまま、しかしその日のダイブの退屈を紛らわしたかった気持ちもあり先ほど片づけておいたフィンとマスクを真っ先に手にとって船の舳先へと走った。

 船の舳先は海面から結構高い。ボードダイブをしたことがある人は知っていると思うが、後ろからエントリーするより前からエントリーする方が高いし足場は悪いし結構スリルがあるのだ。その時僕が舳先に立つと、先にそのポイントで潜っていた先行グループが海面であたふたしているのが見えた。「ジンベエがいるのか!?」そう思って見回してみても何も見えない。ひょっとしたらもう逃げてしまったのかもしれない。そう考えつつもフィンをはき、マスクを頭にかけて太陽の照りつける青空に向かってジャンプした。重いBCDもタンクもない。マスクを右手で押さえたり、ウェイトを左手で抑えたりはしなくてもいい。海に飛び込んだ瞬間の快感は、まるで裸で生命の海に帰った様で…なんとも形容しがたいものだった。

 見回すと僕が一番最初に飛び込んでいたようだ。タイ人の船頭さんは船の向いた方向を指をさしながらこっちを向いてほほえんでいる。彼にはジンベエザメが見えている!!僕はその指の差す方向にまっさきに泳ぎ始めた。ダイビングでは、大きくゆっくり呼吸をし、身体を動かすのが基本だ。そうすることで酸素の消費量を抑え、より長い間水中で楽しむ事ができる。しかし、このときの僕はマジ泳ぎだった。思いっきりスピードを出して泳ぐのは高校生の頃の体育の授業以来だった。フィンが足になじんで、腕は大きく水をかく。頭は夢中で、見えるのは海と空の青色だけ。まるで魚になったようだった。

 どれくらいのスピードが出ていたのかは覚えていないが、少し疲れを感じていたころに何か目の前に影が現れたのが分かった。そしてそれがジンベエザメだと分かるまで、さらに数秒かかった。おいついたのだ。ジンベエザメはそんな僕の必死の泳ぎに目もくれず、ゆうゆうと子分を従えて泳いでいた。僕が最初に見たのは、5mほど下にいるジンベエだった。次の瞬間、彼はもう目の前まで上がってきていた。視線のすぐ1m先に、大きく揺れる尾びれが見える。なるほど、水族館でみた通りの斑点模様だ。もっと近くで、もっと近くで見たい!!何も考えない僕はスピードをあげ、頬のすぐ横にその尾びれを見ていた。無意識の内に手でその尾びれをさわっていた。もちろん一瞬だ。一秒もさわっていないかもしれない。しかし、この大海の神秘に誘われてついその存在を確かめた僕は、こうやってサメやカメにさわる事はダイビングの世界ではタブーなのをすぐに思い出して、手をひっこめた。しばらくの間、その雄大ジンベエザメと共に泳いだ。息継ぎはした覚えがない。ひたすら、海と、サメをみながらぷかぷか泳いだ。

 しばらくたって、何人かがジンベエの周りにきたとき、ジンベエは急に旋回してそのまま猛スピードで沈んでいった。一年間毎月潜っても簡単に見れるわけではないジンベエザメと一緒に泳いでしまった僕は、まだ夢心地だったがふと現実にかえった。かえらざるを得なかった。船が遠いのだ。はっきりいってジンベエに追いつく時に体力を使い果たしてしまった。タンクも無い、BCDもない。必死で船のほうに向かって泳いだ。腕はもう上がらないかと思ったが、ジンベエザメの姿がまぶたの裏から消えてくれず、嬉しくて嬉しくて何故かバタフライで泳いで帰った。プールでのバタフライとは違い、大海原で命をかけたバタフライだ。波にのった心地さえして、最高に気分がよかった。いままで水の中でいた時間の中で、文句なく最高のひとときだった。

 船上で皆の無事を確認すると、ハイタッチと乾杯の渦だった。国籍も歳も性別も関係ない。みんな一つの喜びを共有し、感動した。なぜ山に登るのか?と問われてそこに山があるからだと答えた登山家の話は有名だが、その瞬間確かに僕達は海に潜って海で遊ぶ意味をかみしめていた。その時に飲んだチャーンビールの味は例えようもなく美味だった。腹の底から笑っている僕の目に、海の向こうの青空の下で悠々と泳ぐジンベエザメの姿が浮かんでは消え、僕はまぶしい太陽に少し目眩を覚えて甲板に座り込んだ。



↑同行したイントラの人が撮ったその時の写真。貴重!