Thee Rang 跡地

https://solaponz.hatenadiary.jp/ 跡地

思い出に残るサイト Ⅰ

 は今こうやってブログを書いているが、昔こういうのはテキストサイトという名前で結構はやった事があった。色々とおもしろいテキストサイトが現れては消えを繰り返したが、その中でも珠玉のサイトを思い出してみた。

侍魂

 このサイトがなければ日本のインターネット史は今とは違っていたであろうというすさまじい影響力を持っていたサイト。僕が最初にみたのは18歳の時だったのでもう6年前(!)にもなる。その頃すでにかなりの人気だった。「先行者」というのを最近の人はあまり知らないかもしれないが3,4年前にインターネットをしている人はおそらく半分以上は知っていただろう。今は更新も停止してしまい、管理人の「健」氏も家の仕事を頑張っているのだろうか。あまりの人気ぶりに一時期はラジオに出たりいろんなサイトでひっぱりだこになったりしていた。
 最初の頃のトップページの写真は確か坂本竜馬像だった。が、どこからかその写真の著作権?的に問題があると苦情が入り急遽新しいトップページの画像を募集していた。結局採用されたのは今現在の、妙にリアルな老サムライが何故かブラジャーをかぶっている画像に落ち着いた訳だが、大変味わい深い表情をしていらっしゃって笑える。他の候補の画像もかなりおもしろかった、懐かしい。
 個人的にはサラリーマンになった後のこの人のテキストを読んでみたかった。

ムーノーローカル

 侍魂と時を同じくして人気を博していたニュース系サイト。しかし若干読者層は異なる。管理人の「rhyme」氏の独特の語り口による日々のニュース解説コーナー「どうでもいいトピックス」は今読んでも痛快だ。しかも毎日少しずつ更新されるので、アクセスするのがすごく楽しみだった。一日一万ページビューがあるというモンスターサイトだったが、惜しまれつつもグランドフィナーレを迎える事となる。更新停止の瞬間をネット上の多くの人間が固唾を呑んで見守った。「もう僕にはブラウザは必要ないや。見ても意味がないです。あとは時間までここを更新しよう。」の名文は僕もいまだに忘れられない。終了時にはスタッフロールが流され、R.I.Pという三文字と供に更新は停止された。
 終了して公開された「解題 ムーノーローカルの作り方」にはどのような方針で管理人のrhyme氏がサイトを更新していたのか、という事や終了するべくして終了したのだというrhyme氏の思考がつらつらと述べられており感動した。
 ログサイトも消えたみたいだしInternet Archiverの中からも消えたようなのでもう読めないかな…記念Tシャツほしかった。
 万人が見守った、最後の更新は下記のようなものだった。

このページにはいろいろ思い出があります。2年半以上、このページを
開かなかった日はかなり少なかったです。
みなさん。
ありがとうございました。
もうすぐです。
もうこのページはなくなってしまいます。
お祝いしましょう。
おめでとうムーノーローカル!
さようなら!
いろんな気持ちが分かりました。これは書かないでおこうと思ったんですが、
僕はピチカートファイヴの解散ライブを見たんですね。
その時、最後に小西が一人でものすごい汗をかきながらDJをして、
客席ではみんなじっと食い入るように必死でそれを見ていたんです。
あのとき、小西はこういう気分だったんだと思います。
お別れです。
さようならです。
もう時間がありません。
サーバが重いです。
もうこの文章を読めている人がいるのかどうか、 僕にはわかりません。
こんなふうに終わっていくんです。最高でした。
皆さんのおかげです。
ありがとうございます。
どうでもいいことは、どうでもいい。
わけ知り顔の若年寄にケリを入れてバネをきかせて世界を変えるよ。
素晴らしきこの世界。
真心ブラザーズって、いいこと言うね。
俺はいつでもムキになる。つまらないことでもムキになる。
どうでもいいことならなおさらムキになる。
もう僕にはブラウザは必要ないや。見ても意味がないです。
あとは時間までここを更新しよう。
素晴らしい終わりをありがとうございました。

これは僕が作った終わりですが、
本当に僕にこれを作ってくださったのは皆さんです。
ありがとうございます。

電話になんて出ねえよ。

終わるんだ。

あと何回アップできるんだろう。

ありがとう。

最後の最後に本当のことがあったよ。

いろいろわかったよ。

あと一分だ。

さようなら!さようなら!

さようなら!