Thee Rang 跡地

https://solaponz.hatenadiary.jp/ 跡地

小さな正義たち

 もが自分の行動に一定の規範を敷いていると思う。僕も敷いている。僕が思う行動規範とは、イメージとしては誰かが何かの行動に出ようとしたときに、頭の中でふと自分のもう一つの意思が囁くルールという感じだ。日々刻々と変わっていくし、突然変わる事もある。
 僕は昔から他人には親切にしなさい、迷惑をかけないようにしなさいと親に叩き込まれてきたので幼い頃から中学校に入るまでこの親から教えてもらった行動規範に非常に忠実に行動していた。机にすわっていて、二つくらいとなりの席でだれかがえんぴつや筆箱を落としたらすぐにいって拾ってあげたりするのは僕の中では鉄則だったし、男子も女子も絶対に呼び捨てにする事は無かった。勉強も、決められた時間に決められた分だけこなすことは義務だったし、その事を疑いようも無かった。
 が、中学校に入ったあたりからだんだんと自我が目覚めてくる。かなり荒れていた中学校だったので一年も経たない内に僕もそれにすっかり染まってしまった。小学校のころ培った行動規範なんてのは殆ど「メモ帳で開く→上書き保存」されていった。が、それはそれで仕方のないことだった。というのも、そうしないとあの学校では生き残っていけなかった。もっというと、まるで動物園のサル山のように、もしくは昔のアニメの世紀末のようにイジメや暴力が横行しており、それらは常に活発に矛先を探している状態だったからだ。どのくらい横行していたかというと、登校拒否者が最も多い時で7人居た。それくらいサバイバルなクラスだった。
 今考えるとひどい話だが、僕のクラスでは給食のときかならず学年団長、教頭レベルの人が2人くらい教室にきて給食を食べていた。そうしないと担任と生徒で取っ組み合いが始まるからである。運の悪い事に担任は23歳の新卒の女性教師だった。彼女はよく生徒と取っ組み合いをして、服を引っ張られ破かれたりしていた。ある生徒が、給食中にその担任の背中に(襟を引っ張り、首の後ろから)口にいれたパンを吐き出した事もあった。みかんが出された日には、窓ガラスという窓ガラスにクラスの悪ガキグループがみかんを投げつけ、潰れて広がるのを見て笑っていた。昼休みに担任が一人でその窓を拭いていたのを見たのを覚えている。
 彼女は本当に限界にきていたのだろう、数学の教師だったが数学の時間中に突然涙を流して泣き出し、うずくまって動けなくなった事があった。みんなはきょとんとしてそれを見ていたが、しばらくして教室を出て行き、戻ってきた頃にはいつも通りの表情に戻り、普通に授業が再開された。彼女は強い女性で、何も分からないながらも決して担任を放棄したりはしなかった。そこで成績もよく(幸運なことにまじめにすごした小学校時代のお陰で勉強は苦では無かった)、悪ガキグループとも仲が良かった僕に、よくグループのやつらや人間関係について尋ねてきて、どうやったらガキどもがおとなしくなるかアイデアを絞っている様だった。
 ともかくしてバカガキの仲間入りを果たした僕も、成長・進学してたくさん本をよんだりいろんな人と出会ったりする内に行動規範も修正されてくる。高校の頃は、厳しい部活で頑張ったのが行動規範を修正するのに役に立った。勝つためにはチームがまとまらなければならないし、キャプテンだったから自分の責任を果たさなければならない。後輩にはどんなに言っても口だけではナメられるので、行動とかプレーで示すしかチームをまとめる方法はなかった。行動とは規律を自ら守ること、プレーとは自らのプレーでチームを勝利に導く事だった。
 今の僕は、社会人としてまあまあの行動規範にそって行動しているんじゃないかなと思う事もたまーーーにある。例えばそれは電車の中だったり、駅を歩いているときだったりする。電車を待つのに並んでいるとき、電車が止まるか止まらないかのうちにドアの脇に立つために、平気で割り込んでくる人がいる。人が電車から降りてくるのを意に介さずに乗り込んで我先と席を探す人がいる。混んでいるのに優先席で漫画雑誌を広げる大学生、サラリーマンがいる。そういう人達を横目に、自分なりの規範で行動するのを徹底できていると我ながら満足感に浸れる。
 逆にいうと、なぜみんな少しのルールが守れないのだろう?とすごく不思議に考えてしまう事もある。前に、電車で立っていると駅に停車した際妊婦さんが乗ってきた事があった。つり革につかまって立っているが、一目で妊婦さんと分かるいでたちだった。しかし、目の前に座席に座っているサラリーマンはそれを見たはずなのに新聞を広げて席に座ったまま読み耽っている。どうしようか考えていると、端っこの席のおじいさんが立ちあがりその妊婦さんに声をかけ、席を譲った。このサラリーマンは、別にどこか身体が悪い訳でもなさそうで、東京駅でスタスタと歩いて降りていった。もちろん座席を譲ってくださいというのはルールとして強制されているわけではないが、彼の行動規範にはそのような思いやりの意思は無かったようだ。
 僕の頭の中で規範が語りかけてくるとき、親の顔や祖父母の顔、教師や尊敬する人、友人たちの顔が思い浮かんでくる。そうすると彼らに見られているような気がして、自らの規範にのっとって行動するしかなくなる。そうでないとすっきりしない。そういうシーンは一日のうちにたくさんあって、いちいち意識するのがうとましくなる事もあるがそれらを守る事はすごく大切な事だと思うので僕なりにそういう自己規範に従っているという事に自信を持っている。
 以上個人的な備忘録でした。にしても我ながら小さな正義だ。