Thee Rang 跡地

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大地震の恐怖

  震雷火事親父。僕の父親は、阪神大震災の朝にテレビをつけてそうつぶやいた。揺り起こされた僕は*1眠い目をこすりながらボロいテレビを覗き込むと、あわただしく喋るリポーターと、燃え上がる神戸の町が交互に映し出されていた。その日はそのまま起きていて、興奮した状態で学校にいって先生の話を聞いて事の重大さを理解した。
 日本は地震から永遠に逃れられない運命にある。別に地学を勉強していなくても誰でも知っている事で、環太平洋ラインの真上に位置するこの国では古来より人々の運命は地震と共にあった。阪神淡路大震災もそうだが、広島や福岡、新潟など近年でも大地震のニュースは毎度のことながら大きな犠牲を伴うし、世間を騒然とさせる。被害に遭われた方々には申し上げる言葉もない。
 そして、東京都下に住む僕として非常に心配なのがそのうち来る来るといわれていまだにこない東京大震災だ。僕が学生の頃、地学の授業で日本地図をだして最近の地震の記録などをたよりに、震源地を中心に地震の大きさに比例した大きさの円を書くといった作業をしたことがあった。結果は、恐ろしいもので、東京を中心とするところだけぽっかりとあいているのだ。明らかに、近年中に関東大震災が再び起こるという事を示唆しているようで背筋が寒くなった覚えがある。そのときの先生の言葉はこうだった。
「いつか、かならず東京を大地震が襲います。これは歴史的に見ても地学的にみても間違いの無い事実です。3分後にくるか、30分後にくるか、3年後にくるか、30年後にくるかはわかりません。ただ、300年もは待ってくれないでしょう。ま、あと数年で人生を終わらせる覚悟もあるなら東京の大学を受験してくださいね、みなさん」
 そしてどういうわけか僕はいま東京に住んでいて、東京のことがだいぶんよくわかってきた。はっきりいって、この都市で阪神大震災以上の地震がくれば時間帯にもよるだろうが想像を絶する大災害になるのは目に見えている。もちろん僕は素人だが、近所のコンビニから食料が消えてなくなるのは容易に想像がつくし、パニックになった大勢の人で治安が保てなくなるのも想像がつく。きっと、これだけの人数がいたら水などは一瞬で底をつくだろうし、それがもし夏であれば深刻な衛生被害をもたらすだろう。冬であればさらに厳しい寒さが人々を襲うだろう。もっともそういう事を心配する前に、多くの人たちは瓦礫の下敷きになるか火事の煙にまかれて命を落としているだろうが…。東京には多くの埋立地があり、その多くの土地に高層ビルや住居が立ち並んでいる。阪神大震災の時の神戸の埋立地液状化現象はあまり大きくは取り上げられなかったが、しかしあれがこの東京で再現されるとなると考えるだけで恐ろしい。
 そういった被害ももちろん怖いがもっとも恐ろしいのは一時的にせよ政治的な機能が麻痺してしまうことだ。日本の中枢機関はほとんど東京の一地区に集中しており、内閣の決定機能や行政の支持機能が落ち込むとその分対応の遅れや誤りを招くことになる。東京がまったく無事だった阪神大震災でさえ、当時の村山内閣はなんせ社会党出身の首相だったので自衛隊を派遣するのを渋り、死者の増大を招いたといわれている。東京がそのような災害に見舞われた場合、はっきりとした支持体系を維持して自衛隊などを統制するための機能は整っているのだろうか?
 最近、震災時の帰宅マップというのがすごく売れているらしい。たしかに東京に住んでいる人は電車で移動することが多いので、地上を移動するときにどこをどう通れば安全に我が家にたどり着くのかわからない人も多いだろう。こういうのが売れるのは凄くいいことで、人々の危機意識も相当高いものだという事をうかがわせる。
 家に防災グッズをおいている家庭も多いだろう。これははっきりいって必須だ。一年に一度とりかえが必要なものもあるなどめんどくさい事だろうが、必ず準備しておいたほうがいい。万が一災害にあって一次被害を免れても、きるものも食べるものもないとなれば生き残る確率は格段に低下する。逆に、まとまった必要品が家のなかにあると確信がもてていればたとえそれが瓦礫に埋まっているとしてもひとつ見つければ全て見つかるわけだから生き残る可能性は高くなる。*2まあだけど、この過密都市でいくらかの食料や水を用意したところで、付け焼刃におわりそうな気はするが…。しかし、生き残る可能性が数パーセントでも上がる可能性があるなら努力するべきことだ。
 僕は幸いにして経験がないが、体験者たちの話によるとそういう生死の境目の状況に陥ったときに、たとえほんの0.1パーセントでも、少しでも生存確率をあげておくというのは非常に重要な事だ。
 そう、僕は大学生時代を関西で過ごしたので阪神淡路大震災を体験した多くの人から話を聞いた。
 家がぐちゃぐちゃに壊れてしまったので、夜は仕方なく車のライトをハイビームにして照明にして瓦礫の中から家財道具を探していたという話や、地震のおこる直前にちょうど早朝バイトへ行く途中で、歩いていると突然地面から青い稲妻のような光が上るのが見えたという話、その期の大学のテストがほとんど落とされなかったという話、大事な友人を亡くした人の話、普段はすごい悪いしバカそうでもどこかで震災があったと聞くとボランティアに飛んでいく奴の話、新幹線の高架や近所の国道171号線の高架が落ちて何ヶ月もそのままだったという話…。中でも、一番心をうったのは、これは直接聞いた話ではないがテレビの中でインタビューを受けていた親子の話だ。

 激しい揺れに目を覚まし、おきようとしても体は言う事を聞かない。結局一歩もうごけずにそのまま瓦礫が降ってきて死んだと思った。が、目を覚ましたらまだ生きていた。身動きはとれない。しかし呼吸はできるので、大声で隣で寝ていた母を呼んだが、返事はなかった。だめか、と思い諦めたところ、かすかに母の声が聞こえた。母は声が出せないようだった。出せないどころか、重いコンクリートの下敷きになって呼吸もままならない状況であることがようやく分かった。息ができない、苦しいと母はつぶやいてから、しばらくして「ごめんな、もうアカンわ」とつぶやいたのが聞こえた。
「おかん、なに言うてんねん。あと少しや、あと少しで救助の人たちがきてくれるし、頑張り!」
「あかんねん、どんどん苦しくなってきとる。このまま潰されて死んでまうから、お母ちゃんの事はもう諦め」
「おかん、がんばれ」
「あんたと過ごした時間は凄く幸せやった、ありがとな。お母ちゃんはもう息ができん、もう駄目やから、あんたはどうにか生き残って、元気にな」
 その後、母の声は聞こえなくなった。ふと、遠くで人の声が聞こえた。
大後で助けを求めた。
「人や、人がおるぞ」「どこや 埋まってしもとるやんけ ほんまにまだ生きとんか?」
「おかんが横の部屋でうまってる はやく片付けて助けてくれ!!!俺はあとでええ!!」
結局母親はかろうじて助け出され、本人の命も助かった。
「けど、あんときはほんまもう駄目かと思いましたわ… はは」

 

*1:無論親にではなく地震にである

*2:ここで、置く場所などについてもしっかりと考えておく必要がある。大地震に襲われた際に、部屋のなかはぐちゃぐちゃになり家具はひっくりかえる。絶対に埋もれない位置に、固定しておくのが大事だ。地震を体験した人の口から聞いたが、仮に懐中電灯を部屋の中においていても、絶対に元に置いた位置にはない。どかに飛んでいってしまっているらしい。どんなに部屋がぐちゃぐちゃになっても大丈夫な場所を作っておくことが肝要だ。