Thee Rang 跡地

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アメリカでのテロ

 日は2001年の同時多発テロから丁度五年目の日だ。あのころ僕は大学が夏休みだったので実家に帰っており、親の呼び声にリビングに駆け上がって(実家はリビングが二階にある。)テレビで衝撃的な映像を見た。ビルに飛行機がつっこんで、さらにもう一機の飛行機が突っ込む瞬間だった。事件を伝えるテレビの声も緊張しており、イスラム原理主義のテロリストによる犯行らしいと分かってからは一気に戦争への緊張が高まった感じがして大変興奮したのを覚えている。
 ぼくは大多数の日本人より、ほんのちょっとだけリアリティを持って事件を見たかもしれない。2000年の春にその場に居たからだ。僕はガキだったし、ツアーパッケージでニューヨークに行ったので観光地などをひたすらマイクロバンでまわっていた。そのとき、とびとびに訪れたポイントのうち一つがこののっぽの双子ビルだった。
 「この双子のワールド・トレード・センターはかつて爆弾テロに遭い、それ以来入場制限がかかってしまいました。なので今日は中には入れませんがそのぶんゆっくり自由の女神を見に行きましょう」
 という添乗員の声をはっきりと覚えている。バンの中から見ただけだったので上を見上げることはできなかったが、重厚な建物の入り口は今でも記憶に残っている。そして、そこからすぐ近くのバッテリーパークに降り、自由の女神のあるリバティ島へ周遊するフェリーを待った。



 戦争においては一般市民を殺してはならないというルールがある。守られているかどうかはともかくとしてもルールとして存在する。しかし、テロにそのようなルールはない。誘拐や爆破、ハイジャックは常に日常生活に潜んでいるから恐れられるのであってテロと日常を切り離すのは極めて困難だ。対処療法にも限界がある。僕たちがテロに対して行える事は、せめてテロが起こる背景やパターンや手法などを理解することぐらいが精一杯かもしれない。

 一国の代表がテロという犯罪行為に屈しないと言うのは当然だが、国民一人一人にとって、というか僕にとってはテロは大地震の次くらいに怖いし、当然自分とは縁遠いものであって欲しい。こんなヘタレが今日考える事は、テロの後のアメリカ合衆国の国としての対応は賛否両論あれども9.11当時ねずみ色の砂煙の蔓延した阿鼻叫喚の地獄のビルで、人命救助の使命を担って果敢にも運命に挑んでいったニューヨークの多くの警察官、消防士達の勇姿を忘れてはならないし、最後まで生きるために闘ったであろう被害に遭われた方々の無念の思いを軽んじてはならないという事だけだ。
 五年前の今日、同時多発テロにて被害に遭われた方々の御冥福を心からお祈り申し上げます。