Thee Rang 跡地

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銃社会

 にげなくWEBニュースを眺めていると、カナダのとある短期大学で男が銃を乱射し女性が一名無くなり19人が怪我を負うという事件があったらしい。男は射殺されたようで、これ以上の捜査は不可能だろうが被害に遭われた方々の心痛たるや想像を絶するものだろう。
 昨晩、夜中仕事帰りにコンビニに入ったら、酔っ払った様子の40歳くらいのスーツ姿の男が店内で怒鳴り散らしていた。どうやらすぐ横のひょろい男子学生に向かって絡んでいるようで、その男子学生は足早に、警察に連絡したほうがいいですよとか言って出て行った。今度は店員に当り散らし、店員もほとほと困り果てていた。様子を見る限りでは逆切れの様だったが、店にいた人もぽかんとそれを見ていた。一体あのコンビニで何が起こっていたのか、今でも気になって仕方が無い。こういうとき、この男が銃をもっていたりしたらどうなるのだろうか?銃を取り出しておもむろに騒ぎちらしだしたりしたなら、僕はダッシュでコンビニから脱出するやろうなー。
 日本で生きているとまず本物の銃を目にするという機会はない。あるといえば、警官の腰にぶら下がっているニューナンブくらいのもんだろうが、あれも普段はきっちりとしまわれており通常は手を触れるのはもちろん一見するのもままならない。
 僕はずっと銃を触ってみたいとおもっていた。日本刀なら何回か触ったことがあるが、そのたびに刀の持つ迫力に圧倒された。短刀ですら、手に持つとずっしりと重く、思ったより頼りなげに見える刃はどんなものも切れそうで見ているだけで怪我をしてしまいそうな感じがした。その短刀は丁寧に高級そうな布にくるまれ、厳重に紐で縛られていたのも迫力があった。
 そして実は先日、実際の銃に触れて、さらに発砲する機会があった。タイのバンコクからスクンビット(という通称の通り)を下ったところにある、ワニだらけのワニファームで何故か銃を撃てるコーナーがあり、そこで射撃をしてきた。38口径のちっぽけな銃だったが、やはり手に持つとずっしりと重く、この銃口を人に向けて引き金を引くと人が死んでしまうと考えると銃床を持つ手に力がはいった。
 あまり覚えていないが、10発で600円もしなかったような気がする。的はなんか人の形が欠かれていてダーツの的みたいに得点みたいになっとて、できるだけ真ん中が高得点というようなやつだった。(得点じゃなくアルファベットだったかも)。僕の撃った弾丸はみごとに頭のあたり、首のあたり、そして的のどまんなかあたりと急所を固めうちで、ゴルゴ13をほとんど読んでいるだけあってスナイパーの才能があるんじゃないかと内心得意だった。
 銃も刀も、今回のカナダの大学での事件のように日常生活の中で一般人がそれによって殺されるという確率は恐らく数字だけで言えば日々の生活の中で交通事故で死ぬ人よりかもはるかに少ないだろう。しかし自分の限界を優に超える強力な武器を手にし、平和な一般人の生活領域の中で殺人を犯すという行為は充分死に値する行為だと僕は思うし、現に警官によって撃ち殺されている。前者の銃は悪の銃殺で、後者の銃は正義の銃殺になるという事だろうか?銃の所持が一般的に違法とされない国の銃による社会問題や皮膚感はなかなか僕のような平和ボケには認識しにくい所だ。
 僕の好きなポール・ボネさんの著書にあった一節をご紹介。(完全には覚えていないのでおぼろげ引用。)

  私の友人が念願かなって晴れてアメリカ人となり、近所の住人達がパーティーを開いてくれた事があった。その中には地元の警察官をやっている男も参加しており、彼は帰化祝いとして一丁の銃をプレゼントしてくれた。友人が驚いていると、彼はこういったそうである。

 「塀の外をうろうろするような怪しい輩を見たら、これで一発お見舞いしてから俺に連絡しな。しっかり止めをさしてやるから。」





 彼は、それを聞いて初めてアメリカ人となったことを実感したよ、と言っていた。