Thee Rang 跡地

https://solaponz.hatenadiary.jp/ 跡地

It really does !

 槌はコミュニケーションを円滑にする。と、僕は小学校のころ習った。あいずちという言葉を初めて聴いたのはたしか7歳くらいのころ。先生が、その言葉を口にして、まだ少し難しいかな、と言ったので僕は意地になって絶対覚えてやると決心したら覚えてしまった言葉だ。先生は、『あいずちを打つ事は、すごく大事な事です』と言っていた。僕は今24歳になって、つくづくその言葉を思い返す。
 あいずちを打つ事自体に価値があるとかいう訳ではなく、相槌を打つというシチュエーションがコミュニケーションにおいて重要だ。コミュニケーションを車の流れに例えると、相槌は今青信号ですよ、もしくは黄信号ですよ、赤信号ですよ、というサインを表す信号機と横断歩道の役割を果たしていると言えるだろう。
 例えば何かの話をしているとき、その流れをぶったぎって発言しようとすると『空気の読めない奴』といってまともに相手にされなくなってしまう。例えば他人から新たなアイデアが出たときに、それを無碍に却下してしまえば聞く耳持たぬ奴と信頼されなくなってしまう。例えば感情的になったとき、自らの気持ちを通せば自己中心的な奴と相手にされなくなってしまう。こういう状況を、相槌は回避してくれる、もしくは和らげてくれる。
 さらに、いったん話を赤信号で止めてしまうので、次の青信号からどういう風に進行しようかというのを考える時間を得ることができる。その時間の間に、昔色々な人と交わしたやり取りやテレビや本で見たやりとり、他人のやり取り、語彙、笑い、抑揚を思い出してそれらの中から進行を取捨選択して再構築する余裕が生まれる。場の意見を否定するにも肯定するにも放置するにも、適切に進めていく事が可能になる。
 つまり精神的、物理的、コミュニケーションの場的に相槌は有効な手段だ。三方丸く治めたいなら相槌を打とう。
 相槌は習慣だ。哲学といっても良いかもしれない。普段から身についていなければ、とても咄嗟に出来る事ではない。大事なデートにおいて、この人にはちゃんと相槌を打ちながら話を聞こう!という勝負どころで、相手に『あら、ちゃんとあたしの話をきいてくれるのね!嫌がってないかしら。もっと話きいてもらえるかしら!』と思わせたければ、例えば電車の中で絡んでくる酔っ払いにも相槌を打てるくらいの心の余裕があったほうが、いいに決まっている。舞い上がってこちらの話を聞きもしないで、自己アピールに苦心する男なんて、僕が女でも願い下げだ。
 余裕、ありますか?
 相槌、うてますか?