Thee Rang 跡地

https://solaponz.hatenadiary.jp/ 跡地

英語の発音

 TOEICという英語力を測るテストで屈辱を味わって以来、英語を勉強してきた。そのテストでもリベンジを無事に果たし、継続して英語に触れるようにしたらだんだん身に付いていくのが分かって楽しい。業務で使用せざるを得ないという事もあり、新しい語彙や文法に触れる機会というのは結構あって、それらの中で気になったのを書き留めて覚える程度ではあるが英語を勉強し続けられる環境にあるのは幸せな事だ。
 高校の頃、英語は割と得意だったが今になって受験英語と実際に英語圏で通用する英語というのは計り知れない隔たりがあると分かってきた。しかしコレは仕方がない事で、授業で実践的な英会話を行うとなるとまず40人クラスでは無理な話だし、教員にとっても酷だ。大学に入る段階での選抜でも、いちいち会話をして英語力を確かめているようでは時間とコストがかかりすぎてしまう。僕が高校の頃解いていた問題で今でも思い出すのが、京都大学の英語の試験の難しさだ。名文、とはいわれているが古くさくてまわりくどい構文や、どこどこの経済アナリストのエッセイなどの見たこともない単語が続く長文を全訳させられるのが大変しんどかった。この日本語訳という作業は、以前のエントリでも書いたことがあるが、結局は日本語の国語力がモノを言う。なので、割と読書をする方だった僕は日本語訳はだましだましでも部分点を積み重ね、そこそこの点がとれていた。
 そんなことは、今は通用しない。今大事なのは難解な文章から本意を読み解いたり、うまく文章を構成してわからないフレーズをわやらかに回避しつつ主題を中心として文章を組み立てていくようなミクロな作業ではなくて、一回のリスニングでばしっと意味を把握したり、知らない単語の意味を類推しつつ構文をとらえて文意を把握したりするマクロ的な作業だったりする。僕は意識的に読み、書き、発声のマクロ的な練習をするようにしている。英語の分厚い本をあまりゆっくりにならないように読むし、文章はチャットで打つ事が多いし、発音の練習をするときは人に聞いてもらうか人のいるところで喋るようにしている。あと、ディクテーション?とかいうのかは知らないが、アメリカのドラマのDVDを英語字幕をONにした状態で見て、気になる発音が出てきたら止めて表情から視線から、徹底的に真似したりしていた。だから、多分実際の社会で聞くと妙にきどったような表現をいくつか覚えてしまったような気がする*1。Dude, wut's up.とかtotally weirdだとか、awesome!!だとかhot!だとか、会話で使うの?みたいな表現をたびたび使ってしまう。ネット用語をリアルで使ってる痛い人みたいに見えるんかな??そこらへんの塩梅が全然分からん。。。
 しかしやはり一番苦手なのが発音で、rとlだとかいう基本的なものの他にもvだとかthだとかedだとかngだとかがの発音がどうしても上手くいっていない気がする。断っておくべき事だが、発音がうまくいっていないというのは決してアメリカ人のように発音できていない、という事ではなく、単純に『通じない』という事だ。何人にも通じにくいという事は、多分僕の発音がうまくいっていないという事だ。よく言われるが、韓国人は平均的に日本人より英語が得意だ。これはある程度以上の家庭の子弟はほぼ確実に英語圏に留学する事や、母音が日本語よりかも多いというような事が原因として挙げられるが、このうち母音が多いというのはかなりのアドバンテージだと思う。僕の英語は、よく母音の発音がおかしいと指摘を受けることが多いからだ。悔しいが練習するより仕方ない。
 他にも、日本人から良く聞く話では、インド人やタイ人の英語はさっぱり分からない、という現象がある。確かに、彼らの英語は全然分からない。初めてタイにいったときは、相手が英語を喋っているのかタイ語を喋っているのかが全然分からない事があった。タイ語では語尾の子音は発音しなかったり、つまって破裂するような母音の音があるのでそれが英語に混じってしまいまったく文章のリズムが掴めない。同様にインド人の英語も、我々日本人が授業やテレビなどでふれあってきた英語の発音とは全く違うので、いざインド人の英語を聞こうとしても戸惑いを感じる間もなく諦めるより仕方ないというような事になる。
 が、英語圏のネイティブな方々は、口をそろえて『インド人やタイ人よりも、日本人の英語のほうが分かりにくいよ!』などと言うのだから腹が立つ。こういう事実を考える時、日本語の方がどう考えても素晴らしい言語やしもう二度と英語なんんか勉強するかボケ!とかっていじけて腐ってしまいそうになるのを我慢するのが大変だ。インド人やタイ人、マレーシア人の難解な英語よりもヘタクソな英語を喋っているんだと思うと悲しくなってくるが、日本人らしく堅忍不抜の精神で発音練習に励むしかない。
 英語がうまくなりたい!!と思う人は多分たくさんいるだろう。僕もそう思っていたし、今もそう思っている。しかし、そういう人たちがかならずいつか突き当たる壁がある。動機という壁だ。『旅にも便利だし、なんとなくカッコイイし!』というぼんやりとした動機しか持ち得なかった僕はその壁から身を乗り出して向こう側を覗こうともしなかったほど臆病だった。しかしそんな吹けば飛ぶような動機が『仕事で使わざるを得ない、使った方が有利に仕事ができる』という動機に置き換わった途端僕は勇敢になることができた。道の単語、熟語を恐れずに一歩ずつ着実に歩を進めようと努力することが出来るようになったし、英語を聞き流しているときでも分かるにせよ分からないにせよ一つの単語につき0コンマ00000000・・・・3%くらいは英語が上達していっている!と自分を信じ込ませて耳に詰め込めるようになった。英語で会話をするのはパズルを解いているような楽しさがある事も分かったし、なにより英語を喋っているときに感じる第三者からのまなざしに、少し前の僕を望遠鏡の逆側から覗いたような気持ちよさを感じる事も分かった。不純、というか健全な動機ではないにせよここまで僕を押し出した、英語学習の動機の変化という要素は英語学習のステップアップに大きく影響する事だと断言して良いように思う。
 と、脈絡もなく英語の話などでした。最後に一つ、英語力に関して僕の発見がある。『英語が普通に喋れるくらいのレベルに達した日本人女性の声には、共通してある特徴が見られる。かすれたような絞り出すような、うわずったような、透き通った声だ。』という事。例外は、まあもちろんあるが、結構これに当てはまる人が多い気がする。なんでやろか??っていうか僕だけしか考えたことない事やったらいややな。
 ↓英語のpronunciationf(というよりヒアリング)向上のためのショートムービー*2。(とある友人がこの英会話学校に通っているらしいからなんとなしに宣伝。)
 

*1:東京弁のようなイメージ?

*2:Hey Look!!!!とあるムービーを紹介するこんな短い文章なのに、Kanji,Hiragana,Katakana,Englishの全てが使われている。日本語はかくも柔軟でいて懐の深い素晴らしい発達を遂げてきた。日本人に生まれてきた僕は、英語にうつつを抜かしつつも決して日本語を疎かにする事はしないし、しているヤツを見ると腹が立つ。英語を相手にしたらあんなに馴染めない東京弁も神奈川弁も途端に味方になるからおもしろい。それは例えば、「オレは千葉に住んでいる、オレは東京だ、なんだオレは中目黒にすんでいるぞ、それならオレは自由が丘に家があるぞ、いいだろう。で、方言丸出しのキミはどこから?」などというやりとりをする不可解な人たちが、「えっと、ニューヨークに8年とロンドンに5年と、大阪に1年かな。それが何か?」とか言われて絶句するみたいな、フリーザを目の前にしてベジータが味わったような無力感にも似ているけども。