Thee Rang 跡地

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やってみなはれ

 学三年生だった僕は、大学で開催されている就職説明会というものに初めて参加してみた。第何回目だったかは知らないが、そこにはとある企業の若手社員数名が来て、就職活動体験談や今現在の仕事について色々と話をしてくれていた。それが結構おもしろく、こういう職業体験談が聞けるのなら、退屈になりがちな就職説明会も悪くないなと思った記憶がある。
 その企業の若手社員は、社風という言葉にふれ、タイトルの言葉を紹介した。彼らの社内では、「やってみなはれ」という風潮があり、色々と挑戦的な事業や発案に対して前向きに捕らえられるという事だった。この「やってみなはれ」は、その企業の創業者の言葉らしく、立志伝中のその人の作った企業は今や日本でも有数の大企業でおそらくすべての国民に製品を提供している。
 この企業がどうという訳ではないが、この「やってみなはれ」という気概は素晴らしいものだ。
 人間の成長は、考えながら動くことで初めて実現する。いくら本ばかり読んで興味分野に詳しくなっても、たとえば世界中の演劇を見て技術研究を重ねた人が一流の演劇家になれる事はないだろうし、演劇ばかりして歴史や技術に無関心な人も然り。人が成長するとき、何らかの思惑をもって何かに挑戦し成功/失敗をする事が重要になってくる。
 あたまでっかちでも、身体ばかり動くのも駄目で、それらを車輪の両軸のように同時に動かさなければならない。
 例えば、僕の所属していた運動部は、人数は試合ができるぎりぎりという少ない人数で、しかも進学校だったので部活ができる時間に制限があるという厳しい環境だった。それでも勝てていたのは、練習するときに、こなす事よりも成長することに重きを置いていたからだった。先生の口癖は、「考えてやれ!」だった。何かのプレーをして失敗したときに、なぜそのプレーを選択したのかの理由を訊かれ、答えられないと酷くしかられた。プレーが成功したときもそうなった理由を理解しておかないと、同じぐらい叱られた。プレーに目的があって初めて、結果につながる。そのような事を多く体験することで、目標の形にするにはどうすればいいかを意識的に把握できるようになる。
 どんな分野であれ、そこに意図があり、実際に挑戦できるというのは本人にとって大きな成長のチャンスだ。僕の就職説明会での体験でいうと、「やってみなはれ」というのは、その成長のチャンスを大事にする会社ですよというのを実に上手く言い表した社訓だ。最近、特に若い企業は欧米式の成果主義や成功報酬制度を導入しているところが多い。大企業でも、そのような方針を打ち出した企業はたくさんあるし、ブームのようになっている。従来の年功序列制度では、特に若年層の人材が集まらず、また流出することも多いという事で、自分の能力を正当に評価されたい人達に魅力ある企業では映らないのだろう。
 が、必ずしも成果報酬主義が若年層を確保でき、成長させられるか、といえばそれはNoだ。
 成果報酬は、企業間の厳しい競争環境の中で、社内での競争を促進する事で会社として当面の利益をもたらす人を優遇させる方針だという一面を持つ。ここで問題となるのは、社内での競争が決して正当な競争ばかりではないという事だ。
 年功序列では、年を取るごとに地位や給与は上昇していく。その中で部下や後輩を育て、よい業績を残すことで会社からの評価を得て自分の昇進をスムーズにすることが可能となる。しかし成功報酬型企業では、いかに成果を上げ数字を出したかという所が問題になっていくので部下を育てる事に精を出す時間があれば、自分の能力を上げてよりよい仕事を行うために政治的な努力に時間を費やすほうが自分に取っては有益だという考えをする人が出てくる。彼らは後輩を成長させようとは思わず、成長のチャンスを与えることはない。
 社内競争で勝つには、何も自分が何かに優れた能力を身につけたり、特殊な技能を身につけたりすることが必要な訳じゃなく、もっと簡単な方法がある。競争相手を落とせばいいのだ。しかし、すでに色々なスキルや経験がある人を落とすのは簡単な事ではない。多大なリスクを背負ってまで相手を落とさなくても、これももっと簡単な方法がある。未熟な社員の成長のチャンスを潰していけばいいのだ。無論個人にもよるだろうが、社内で成果主義や成功報酬制度を導入するということは遅かれ早かれこのような状況に置かれた社員を生むことになる。この、社内間の競争相手の足を引っ張る事が自分のメリットになるというのは、当然ながら会社にとってあまり嬉しい事ではない。
 今、従来の日本的経営が見直されている。かつて、ビル・ゲイツはとあるインタビューで以下のように言ったことがある。
 『日本の教育や会社組織は画一的だとか無個性だというが、私の会社の最もクリエイティブなエンジニアには日本人も多くいる。ゲーム業界だって、日本のゲームはあんなにクリエイティブで、世界中を楽しませているじゃないか。日本的教育が無個性な人間しか生まないというのは間違っている。』
 年功序列成果主義、どちらが優れていてどちらが劣っているというのを一新参者の僕がぶつのは馬鹿げてもいるが、一時期ブームのようになった成果主義や成功報酬も、決して手放しで素晴らしい事ばかりではないというのを知っておく事は大切な事だ。特に、そのような企業に身をおく人達にとっては。
 というわけで、結局自身の成長の鍵というのは何事も「やってみる」事だ。「やらされてみる」だけでも発見や成長はあるのだろうが、しっかりとした意図を持ってやってみた時のほうが成長の度合いは大きくなる。機会が与えられない、与えられても潰されるというならより積極的に自分で機会を作り出し、やってみることへの執念が必要となる。誰かに何かを教えてもらうのなら、やってみなはれ、と、そういう事を言ってくれる人を探して、その人を目指すというのが近道なような気がする。1年か2年後、少なくとも僕はそういえる人に、なりたいなー、、、