Thee Rang 跡地

https://solaponz.hatenadiary.jp/ 跡地

分からないモノ/コト

 の中には、たくさんの分からないものがある。数ヶ月前までの僕にとっては、WEBLOGすら『分からないもの』だった。cgiの日記プログラムで何か問題あるの?HTMLテキトウに書いてテキトウなサーバにupしとったらえんちゃうの?と、そういう考え方をしていた。今、こうしてWEBLOGをほんのすこしだが触ってみてようやくその楽しさと利便性、拡張性を分かる事ができた。
 もちろん不勉強な僕の事なので、まだまだ世の中には分からないものがたくさんある。たとえば、僕にとって多くのプログラミング言語は『分からないもの』に属する。演劇や舞台、オペラといった劇観賞の文化も、完全に『分からないもの』だ。サッカーのクラブチームだとかヨーロッパのなんちゃらリーグだとかも、分からない。『ほぼ日刊イトイ新聞』も、全然分からない。他にも、思いつくキーワードを挙げてみると、『東京観光』も、『オーケストラ』も、『Hip-Hop』も『バリ島』も『化学』も『カメラの構造』も、分からない事たちだ。
 が、わからないものというのは、例えるならばまだ読まれていない書籍のようなもので、それを分かるようにする事は少しの努力を要する事だが、その先には新たな世界の楽しさと、奥深さが横たわっていてそれをかいま見た途端にそれの虜になってしまうという事は多々ある。僕にとっては英会話やパソコンが、それに当たる。パソコンなどは虜になるどころか、メシを食う種になってしまった。そういえば、今は日中座って仕事をしているが、学生時代は立ち仕事のアルバイトを続けていた。そのころ、立ち仕事はめんどくさいとか退屈だとかいうイメージがあり、全然『わからないこと』だったのだが、実際1年、2年と仕事をしていくうちに立ち仕事でしか得ることの出来ないスキルや思考を、たくさん身につけて実際にそれが今までの人生で大いに役に立っている。僕は常に分からないものたちに鍛えられてきたし、きっとこれからもそうなるんだろうと思う。
 分からないモノ/コトを恐れる様では、鍛えられない。
 いわゆる「挑戦し続ける姿勢が大事」とかいう抽象的な表現もつまりはそういう事を言っている。Flat化する世界だとか、グローバルなイノベーションだとか情報化社会におけるビジネス革新とか、そういうのは、分からない事が否応なしに目の前まで迫ってくる事について言っている。
 闇雲に分からないことに突っ込むのではなく、そこから何かを得て帰ってくるために、定まった価値観(例えばお金が大事だ、とか美しい事が大事だ、とか大衆受けすることが大事だ、とか宗教的意義だとか、そういうの)を携え、ブレる事がない基準として常にそれに外部情報や内部刺激など色々と照らし合わせていく事で自分の外皮を一回りも二回りも薄膜が覆っていく。その過程を楽しめたら、それ以上の事はないと言えるね!



追記
今日、12月8日は特別な日だ。
1941年、いまから65年前に日本軍がパール・ハーバーを攻撃した日であり、1980年、いまから26年前に、ジョン・レノンがニューヨークにて射殺された日でもある。襟を正して平和祈念に九段にでも行くべきだったろうが、仕事も大事だったので色々考えるにとどまった。