Thee Rang 跡地

https://solaponz.hatenadiary.jp/ 跡地

苦手な雪スポーツ

 ノースポーツはどうも苦手だ。大学生時代、バイトに明け暮れてボードに金をつぎ込む友人達を尻目にインドア趣味とバイクに金を使っていた僕がスノボをしたのは一回だけだった(ただし最高に楽しかった!)し、社会人に入りお金に余裕が出来てウインタースポーツがやりやすくなってからも、僕は一度しかゲレンデで遊んだことがない。(しかもスノボ予定じゃなかったがなぜかやる羽目になった)。仲間数人はボード二枚持ってるとか、先週もすべりに行ってきたよなどとさらりと言っていたが、なんか世界が違う人たちだと思ってしまった。
 当然、ゲレンデ上の僕は、まるで氷河の上のセイウチのような動きをしている。
 この前、分からない事を怖がるようでは人生は豊かにならないし強くなれないという事を書いた。このウインタースポーツはまさに僕の「分からない」範疇にドカッと居座っているボスのようなもので、僕は海が好きで海の中まで好きだから尚更冬山というのは縁遠いものに思えてくる。しかし、だからこそ挑戦したいという気持ちもあり、おそらく来年に一度,二度はすべることになると思うが、そのときに思いっきり上手になって帰ってきたいと思っている。しかしスノースポーツというのはそもそも非常に限られた地域でしか楽しむことは出来ないものだ。もともとはスポーツですらなく、生活の中での交通手段だったのだろうし、四国で育った僕には北海道の小学校にはスキーの授業があるというのがいまだに信じられない。というか、四国に生まれ育った人間でスキーを趣味とする人はまれなのと同じように、九州や平野部で育った人間がスキーやスノボであまり自由に動けないというのはこれは当然のことだ。だから僕がセイウチみたいな動作をしていたといってなんら恥じる事はないと言えるし、むしろ雪国で雪に閉じ込められて不自由を強いられながら生活していたわけではなかったという事の証明にもなるので、まあいいかと自分で納得してしまっている。



Echigo-Yuzawa



 最後にスノボをした(つまり人生のうち二回目)のは今年の二月だった気がするが、山上から望む、雪化粧を施された越後湯沢の駅と周辺の町に感動した記憶がある。リフトで上っていく時も美しい景色を見ながら登っていくわけだが、降りるときは上手く滑れないのであまり景色を見ている余裕がない。これは悔しいし滑れないので半分、景色を見れないので半分、つまり25パーセントしか楽しんでいないという事になりかねない。費用対効果に何かとうるさい僕は、うまくなって景色を楽しまなければ損をしたような気分になるだろうから頑張らねば。
 雪の上では、海に浮かんでいる時にも似た無力感を味わえる。頼みはただ足元の一枚の板のみ、スピードによっては死亡にいたる事故も充分考えられる状況でさらにそのスリルを楽しむ。目の前にも頭上にも足元にも自然そのもののエネルギーを感じ、スピードの中で風を楽しむ。こう書くとものすごくおもしろそうなスポーツなのだが、如何せん僕が下手糞なのが格好悪い。上手くなってから、踏ん反りかえってこういう事を書くほうがかっこよかったな。。。しまった。