Thee Rang 跡地

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詩を読むことは、生を読むという事

 は、本当にいいものだ。社会人生活を普通に送っているだけでは普段なかなか詩を読む機会に巡り会う事はないが、ふとしたときに詩のすごさを感じる事がある。
 僕は高校生の頃や大学生のころ、僕の将来はこれからどうなるんだ?とかいう素朴な疑問から、これから先の世の中を何を楽しみに生きればいいんだろうか?という割と深い問題まで、色々と考え込んでしまう事があったがそういう時に詩に触れると、少し答えが分かったような気がして安心した記憶がある。 僕が初めて読んだ詩は何だっただろうか?サラダ記念日?とかいうやつか、猿が船の絵を描く話?だったような気がする。どちらかは谷川俊太郎氏の作品だったような気がする。それから色々な詩を読んできたが、この年になってようやく詩の持つエネルギーに気づく事ができたかもしれない。そう、詩は一見シンプルで短くて言葉足らずで、意味すらもよく把握しきれない事があるが、それでもものすごく巨大なエネルギーを持っている。じっくり鑑賞するつもりで詩の言葉言葉を咀嚼してみると、作者の視覚や聴覚、姿勢、感情、作者のおかれている環境などが頭の中にありありと再現される事がある。想像力・感性の豊かな人は周囲にいる人間の言葉や表情までもが眼前に浮かんでくるというような事もあるだろう。それが、詩のもつエネルギーだ。
 短歌、俳句、狂歌、川柳などはもっとも日本人がなじんできた詩の形式で、百人一首に連なる錚々たる名句に、ろくに古文もよめない癖にうちひしがれてしまった僕のような人は一体何人いる事だろうか。5,7,5,7,7という非常に限られた言葉数で、幾年の恋、生のはかなさ、自然の美しさ、生活習慣までがありありと描写されている様はまるで魔法の様にも思う。

八重むぐら しげれる宿の さびしきに 人こそ見えね 秋は来にけり
夜もすがら物思ふころは明けやらで閨のひまさへつれなかりけり
山里は 冬ぞさびしさ まさりける 人目も草も かれぬと思へば  

 僕は旅に出る際に何冊か本を持って出かけるが、旅に持っていくのに最適のものは詩集だと断言できる。この間タイにいったときはスチーブンスンの『宝島』を持って出かけてみたが、行きの飛行機の中で読み終えてしまってそれ以降はカバンの中で文字通りお荷物となってしまった。また、去年ニューヨークに行った際もポール・ボネ氏のエッセイをいくつか持っていったが、これまたマンハッタンで一日も過ごさないうちに全て読んでしまい、お荷物となってしまった。
 が、詩集は違う。僕はニューヨークに中原中也、タイに武者小路実篤を持っていった事があるが、それらは実に旅の慰みとなった。ニューヨークでは、低調な印象ながら時折魂から絞り出すような中也の詩を読んで、その旅に大都会の繁栄と虚栄や日本もアメリカも田舎も都会も変わらぬ人間の運命や悲哀を想う事ができたし、タイでは猛烈な太陽の日差しの中、くたびれた100ccのバイクを走らせて山の中の一本道を駆け上り、涼しい物陰で買ったばかりのミネラルウォーターをグビ飲みしながら、地に足がついていてしかし堅苦しすぎずユーモアも含蓄もある実篤を読み、僕が若者で、南海の孤島で思い切り熱く湿った空気を吸い込んでいる事の価値や、少しの後ろめたさなどを感じたりして色々考えさせられた。灼熱のビーチで、夜に肌寒くなった一人宿の中で、同じ短い詩を読むにしても感じ方は様々に変わってくる。

 ---男は僕に手をかけて絞め殺そうとし、、、
 男はひっきりなしに何かを呟いています、、、のろのろと、、、
 (何を呟いている?)
 真実です、、、真実とは、必ず足がはみだしてしまう毛布みたいなものです
 いくら広げてみても、その毛布は僕たちの誰一人として、ちゃんと覆ってはくれません
 蹴ってみても、殴ってみても、どうにもならない
 鳴き声をあげながらこの世に生まれ落ちたその日から−−−
 −−−死してこの世を去るその日まで、泣こうが叫ぼうがわめこうが、
 この真実という毛布は頭を覆ってくれるだけなんです!

これは今日読んだ、Dead Poets Societyという本の中のある登場人物が、生まれて初めて読んだ即興詩だ。これを読んで、詩のエネルギーの大きさを改めて見せつけられた気がした。この作品中では、また別の登場人物の台詞に以下のようなものがある。

 僕の答えはこうだ−−馬鹿を言うな!人が詩を読むのは、それはその人が人類だからであり、人類というのは情熱をみなぎらせた生き物だからだ!医学や法律や銀行業は、これは生活を維持するのには欠かせないものだ。それでは詩やロマンス、愛や美は一体何のためにある?詩は、われわれ人間の生きる糧だ!

この本は、邦題を『今を生きる』というらしいが、今読んでも充分におもしろい。しかし、中学、高校生くらいの頃に何度も繰り返して読むともっとリアルに感情移入出来ただろうし、素直に感動できただろーなあという少しの寂しさとともにかみしめる価値のある本だ。