Thee Rang 跡地

https://solaponz.hatenadiary.jp/ 跡地

初夢のサイパン

 年末、むちゃ忙しい時期に満員電車に揺られていると一枚の広告が目に付いた。元日本ハムファイターズの新庄が、砂漠に座っている写真で傍らには茄子が一本、遠くには富士山、そして大空に鷹が舞い上がっていて、『台湾○○円!!』『ハワイ○○円!!』『申し込み受付は○○日より開始!!』という文字が躍っていた。僕はちょうど台北にいってみたかったので、この広告を出しているH.I.Sの店頭でこの初夢セールと題されたチラシを手にとって、色々眺めてみた。
 そして、台北旅行の申し込みが始まるのが今日だったので、さっそく朝起きて電話で申し込んでみた。
 九時半から申し込みだったらしいが、10時にはもう完売状態だった。打ちのめされた僕は、頑張って他のプランも見てみたがサイパンのツアーがなんとなく気に入ったので、そちらに変更しようとスケジュールなどを眺めてみた。そして、電話をすると空いてはいるが掲載料金より2万円近く高くなるということで、すこし考えるために電話をきった。10分後、やはり申し込もうと決心して電話をかけるともう二月は完売だというありがたい返事を頂くこととなった。
 こういうのに申し込む人って、事前から何月何日に何時の便でいこう!と決めて、休みもそれにあわせて、電話受付開始と同時に複数台の電話から一斉に突撃しているんだろうか?そうしているとでも考えないと不自然なくらいの速度で予約は埋まっていった。僕の考えが甘かったというだけの話のようだ。
 しかし、サイパンは行ってみたかったので残念な気もする。名前はよく聞くがそんなにメジャーでもないこの島は日本とも関係は深く、ドイツ・スペイン・日本の統治時代を経ていまはアメリカの自治領となっている。太平洋線戦争で戦死にのこる激しい戦闘が行われたという事で有名だ。アメリカは大きな犠牲を払いながらもこの島を陥落させ、一大拠点を築いて、サイパン島に隣接するテニアン島より広島と長崎に投下された原爆を積み込んだ飛行機を発進させた。このように悲惨な歴史を持つ島であり、また想像を絶する美しい海を持つ島というのが僕のサイパンのイメージだった。
 色々とみていくと、以下のようなWEBLOGのエントリーを見つけた。

 この原子爆弾アメリカ本土から輸送してきた
巡洋艦インディアナポリスは、テニアンからフィリピに向かう途中で
日本軍の潜水艦「伊−58型」に発見され、魚雷攻撃をまともに浴び沈没、
1945年7月29日 午前0時25分の事でした。
乗組員1197名中、約300人がインディアナポリスとともに海底に沈んだ
残された900名近い乗組員は「翌日になれば救助隊が来る」
と信じ、波間に浮いていました。

ところが一夜明け来たのは、救助隊ではなく血に飢えたサメの群れでした。
4日後救助されたのはわずかに300人。
「広島や長崎の犠牲者の怨念が通じた。」
日本ではこんなふうに解釈した向きもあったようです。

そして、アメリカはこのインディアナポリスの凄惨な事故の
責任を艦長のマクウ”ェイ大佐ひとりに押し付ける形となりました。
のちに彼には当時なんの落ち度も無かったことが
2000年に改めて認定されます。
しかしマクウ”ェイ大佐は1968年に亡くなっていたのでした。自殺でした。
原子爆弾にまつわる話にはいろいろなオヒレがついて
大きく誇張されている部分と、
逆に闇から闇へ隠蔽された事実が多数あります。
アメリカ側、日本側それぞれの立場で解釈が異なるのも
致し方ないことだと感じますが。
できるものならば個々で事の真実を、正しく見詰めることが
肝心ではないのでしょうか?
サイパン ちょーすけ日記 太平洋戦争
http://blog.goo.ne.jp/oleai-boys/c/1030dd63c11be790e94db592583afddd

 広島で生まれた僕だがこういう逸話はここを読んで初めて知った。いろいろな所から戦争の悲惨さやその後残った傷跡の深さ、書いた人の気持ちなどがにじみでてくる素晴らしいエントリーだ。
 僕は、美しい海と白い砂浜を頭に描いてH.I.Sに電話をかけた。そして、他の人間があまりにすばやく予約をしている事に驚き、結局予約はできなくて悔しい思いをした。が、こういう呑気な事をやってられるのも先人達の想像を絶する苦労や不幸の上で生きていられるおかげであって、世界でもほんの一握りの人だけが味わえる幸福なのかと思うと何も残念でなくなってくるので不思議だ。