Thee Rang 跡地

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文・理 の系

 型vs理系というのは何かとクローズアップされがちな対比だ。
 通常(というか僕の場合は)、このどちらかに決定するのは高校二年生になるころだ。へたれな僕は、このころ部活が相当忙しかったという事もありついつい理科を二科目必修で受けなければならない理系を避け、仲のいい先生の多かった文型へと進んだ。今思えばもうちょっと考えたほうがいい選択だったが、当時の僕にはごくあたりまえの選択だった。それに文型に入ると、地理+地学選択で社会と理科の勉強範囲が結構かぶったりして、色々とお得なのも魅力だった。読書も好きだったし確かに後悔しているというわけではないのだが、今振り返ってみると高校の理系でしか学べなかった事というのは結構多いような気がする。
 確かに進路選択でも、将来理系から文型になるのは簡単だがその逆は難しいと言われていた。そのころはあまり気にしなかったが、社会人になってからは理系のすばらしさを体感するようになったし、また今から理系に入門するというのも難しそうなのもあり、なおさら理系に若干の憧れを抱くようになった。
 理系は製品を生産し、文系はそれを管理する。という図式がよく言われる社会の構図で、文型は管理するからえらいんだとかいう人がたまにいるがそれは大きな間違いで、というのも文系理系ともにすばらしいのは何かを生産したり、改善したりできる発想を持つことというのは同じで、さらにそれらを思いのままに形にする能力があるのは理系だ、という話だ。この点で僕は理系をすばらしいと思うし、うらやましい。
 「研究室」という響きもなかなか魅力的で、いかにもアカデミックでいい感じだ。僕らのとこは「ゼミ」という形式で、あつまって討論したり論文を書いたりするだけだった。聞くところによると、研究室というものは部屋にこもって色々と実験をしたり、好きな開発などをしたりできたらしい。泊まる事もできるし、24時間開いているらしい。なんて楽しそうなんだ。僕は今社会人として会社に出ているが、もしこれから2年間でもこういう時間が手に入るのならどれくらい感激することだろう。学生のころから思っていたが、社会に一度出てみないと勉強すべきことがわからない、というか自分にどういう知識やものの見方が足りていないかがわからない。だから、一般的に優秀なハイソサエティちっくなリーマンたちは数年たってから学校や専門学校に通って資格をとったり知識をつけたり人脈を広げたりしていく。完全に仕事を捨て置くなんてのはさすがに難しいが、優秀じゃない僕でもこれから理系なり文系なりの勉強をしっかりできる環境というのを考えていきたいもんだ。
 専攻だった金融もやりたいし、趣味のITもやりたいし、社会学とか哲学もやってみたい、言語系にもどっぷりつかってみたいし文学はもちろん歴史・絵画の教養も身につけたい、色々とやりたいことがある(音楽は早いうちから才が無いと諦めている)。そういう観点からみると、文系理系なんて分け方は教育課程の便宜上の分類以外の何者でもないんやなあと思った。