Thee Rang 跡地

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冒険的リスク

 供のころ、夏休みはほとんど広島のおばあちゃんの家にいた。アウェイではあったがガキ同士のネットワークはあって、広島で近所のガキどもで集まって毎日のようにいろんな遊びをしていた。田舎だったので、主に山で遊んでいたがほとんど毎日身体のどこかしらを怪我して帰宅していたのが懐かしい。
 ある雨の日、いつも通り傘もささず外に躍り出た僕らは近所の公園に行き、その側にある変電施設のような建物に目をつけた。ガキというのは怖いもの知らずで、有刺鉄線を乗り越えてその中に進入し、中にある電柱に登って遊んでいた。
 そのとき、とある一人の仲間が電柱の上から有刺鉄線の柵を飛び越えて、外の道路に着地した。大雨のなか、水でびちょびちょの電柱の足場から、である。
 有刺鉄線の柵の高さは2m以上あり、電柱の足場はそのさらに上にある。足元を見下ろすと高度感があり、通常飛んで着地するだけでもしくじったらひどい怪我をしそうな感じだった。僕もやんちゃだったので少々のところから飛び降りるのはなんともないが、さすがに足元が悪い雨の日の電柱から有刺鉄線を飛び越えるとなると、躊躇せざるを得なかった。ジャンプするときに、少し靴の裏が滑ってしまえば下にたたきつけられるし、有刺鉄線に絡まってしまうことは充分にありうる。ジャンプに成功したからといって、有刺鉄線を飛び越えられるとは限らない。僕は数分そこで悩んだが、結局蜂の巣になった姿しか想像できずそのまま電柱を降りて有刺鉄線を乗り越えた。
 僕以外の全員(といっても2,3人だったが)は、電柱の上から外の道路にジャンプした後だった。
 以上は、僕の記憶に鮮烈に残っている冒険的リスクだ。今思い返しても、なぜあの時飛ばなかったのだろうというはがゆい気持ちと、大きなリスクをしょってまでやりすぎなくて良かったかもしれない、という思いが同時に蘇る。ガキの頃は川遊び、山遊びばかりだったのである程度の冒険的リスクは楽しんできたほうだが、
 まさか大人になって、社会に出てまでその冒険的リスクにまたまた遭遇することがあるとは思ってもみなかった。

ライミングのスリル
 室内ロッククライミングを日曜にしたのだが、そのときに手のひらにじんわりと汗がにじんで足が動かなくなったシーンがあった。冒険的リスクを選択しているその最中に、ガキの頃の苦い記憶が蘇った。
 すでにだいぶ登って、あとは最後のホールドに掴まるだけになった時、だいぶシビアな足場に足をのせてしまった。手でつかんでいるホールドも小さくて心もとない。最後のホールドにたどり着くためには、少しジャンプをして取り付く必要があった。
 通常の状態であれば、小さな足場といえどそこから体をのばしトップのホールドを掴むのはそう難しい事ではない。が、そこまで上る間に握力をほぼ使い切ってしまった。ジャンプはできても、ホールドを確保できるかどうかはかなり怪しい状況だった。が、戻るわけにもいかない。ギブアップするか、トライするか。ロープで安全は保障されているとはいえ、10m近くの高さである。高度感もあるが、なにより音が無いので自分の息遣いや動作音がよく聞こえてしまうのが怖かった。下では友人たちがなにやら話こんではいるが、その声はほとんど聞こえない。いくしかない。たとえ最後のホールドに掴めなくて落下したとしても、死ぬわけではない。ほんの少しロープにつるされることになるだけだ。
 僕はしずかに深呼吸した。目の前の壁にその音が反射して頭の横を通っていく。そして僕は、小石ほどのホールドから手を離し、足に力を込め…