Thee Rang 跡地

https://solaponz.hatenadiary.jp/ 跡地

8万HIT謝辞

 ที่ร้าง はThee Rang(ティーラン)と読み、砂漠という意味を表すタイ語だ。当初このWeblogはあんまり読むべきものなど何も無いWeblog,もしくは砂漠をテーマにしたWeblogにしようと思ったのでこのタイトルをつけた。
 さるさる日記という日記サービスのページで始まったこのWeblogは、程なくして一人の後輩が使っていたはてなダイアリーというサービスに至り、そのはてなダイアリーで先日要約8万HITに達したようだ。めでたいことだ。友人知人がたとえ毎日読んでくれていたとしてもそれだけではこの件数には達しないだろうから、やはりネット上のまだ見ぬ誰かからも幾度かはページを開かれているのだろう。
 このWeblogをつけはじめてから、他人のWeblogが気になるのでインターネットをしていて文字を読む量が増えた。おまけに、昔は考えられなかったことだが、国外でもおもしろいことを書いている奴はたくさんいるので英語しか書かれていないサイトもまあ向こうの小学生や中学生が読むよりかはちゃんと読めているような気もしている。他人が書いた文章を自分がどう読むかという事も意識するようになったし、自分が書いた文章を他人がどう読むかという事も意識するようになった。
 学問としての言語は、文法を覚え語彙を増やせばひとまず頭に入る。が、言語は学問として生まれてきたのではなく日常の道具として生まれ発展してきた文化なので、話したり聞いたりできないとせっかく覚えた知識も何にも役に立つことはない。英語の受験勉強が楽しくなかった理由はきっとこの辺にあるのだろうが、おそらく文章も同じでいくらきれいな文法で難しい言葉を使おうが文章としての役割、は受け手側が理解するという行為を経て初めて達成される。自分の頭の中の文章を相手に伝えるように文字にするっていうのは難しい。
 これを読んでいる人の中にも、Weblogや他の場面で文章を書いている人はたくさんいる。僕はそれを知っている。それを読んでいる。受け手側として役割をちゃんと果たしているのかどうかはともかくとしても、そういった時間は何よりかけがえのない楽しみだった。
 親切な人は僕にメールをくれる。イスラム教について勉強したいといったらこれを読みなさいとご丁寧に本を二冊教えて下さった方もある。申し訳ないことにその二冊を読まずに結局コーランから読んでしまった訳だが、コーランを読んで初めてその二冊の価値というものも分かってくる。日常生活でイスラム教について人に教えを受ける事など(相手、もしくは自分がムスリムでない限り)ありえないのだろうが、Web上だといとも簡単にそれができるわけだ。
 なんにもない砂漠、というタイでは実感しにくいような単語の名前を持つこのWeblogで、いろんな人に文字を読んでもらっていろんな人から意見をもらって、およそタイトルにふさわしくない内容に育っている。これは予想外で、上出来で、うれしい事だ。突然の豪雨にうたれた砂漠に次の日色とりどりの花が咲き乱れるような晴れ晴れしさを感じる春の午後、夕焼けの暖かさが心地いい。