Thee Rang 跡地

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JRの朝

 朝もまた、人身事故が発生し品川駅で多くの人たちが立ち往生していた。駅の校内放送では、どこでどういう事故があり、どの線が止まっているのかを喧しく流している。心なしか、喋っているアナウンサーも若干興奮気味の感がある。どうやら、首都東京の中心地・東京駅でまさに僕が利用する線に人が飛び込んだ様で、そのおかげで隣接する各線がすっかり止まってしまっているようだった。山手線も東海道線も止まっており、駅構内は雑然としている。周りを見渡すと、携帯電話ごしに誰かに必死で事情を説明しているサラリーマン、険しい顔でいかってあるくサラリーマン、いまにも化粧が崩れ落ちてきそうなしかめっつらをしたOLなど、いいようのない悲壮感で満ちている。
 こんなとき、僕は逆にうきうきしてきて、ついついキョロキョロしてしまう。
 おもしろいのだ。たかだか電車が数十分止まったくらいでこの世の終わりが来た様に一様に鎮痛な様が滑稽でたまらない。人々は我が先と振り替え乗車をする私鉄に乗り換えに向かうのだが、その様がまた滑稽だ。狭い日本、そんなに急いでどこへ行く。朝、オフィスへの到着が数十分送れたところで、潰れる会社などそうないだろう。思うに、彼らは毎日当たり前の時刻に当たり前のように乗車するその常識が覆されているから、怒っているのではないだろうか。決してJRの不都合に怒っているのではないだろう。自分の『こうあるべきだ』という常識がいとも簡単に崩れる現実を目の当たりにして、彼らは絶望と怒りに打ちひしがれる。
 『電車が遅れております』というアナウンスを聞いたとたん、ラッキー!と思う僕は不良サラリーマンなのだろうか。無論、仕事の開始が遅れることで何事にも影響が無いではないが、それはそれでいくらかのフォローとわずかなキャッチアップという仕事が増えるだけだ。宵っ張りの朝寝坊な僕は、駅で足止めを食らってしまうと、ようやく朝一息つく時間が出来たと安心する(無論、ホームに人が寿司詰めで動けない、階段から動けないなどの事情は別だ。これはまさに生き地獄で、住宅が密集している地域の地下鉄の主要駅などでしばしば見られる現象である)。さあカフェにでもいこうか、いやいや電車を待ちながらのんびり本でも読もうか、何か買い忘れているものや用事は無かっただろうか、そういう風に考えて悠然と人々の流れを逆走する。
 現に、電車が止まってくれたお陰で今日のタスクの一つだった『ATMを見つけて』『そこに並んで現金を下ろし』『券売機で定期券を継続購入する』というめんどくさい作業も終わらせる事が出来た。これは純粋にラッキーだった。
 見ていると、イライラしたサラリーマンの中でも、僕のようにのんびりとした人らが何人かいて、そしてATMに並んでいるような人はそういう人だった。そんな中僕は、目の前にたむろするおそらく岡山からの修学旅行生(新幹線の駅表示で岡山の文字を指差していた上、『ぼっけえ』を連発していた)を眺めながら自分の修学旅行を思い出して思い出に浸っていた。しかし、あの頃はいっぱしの仕切り屋気取りだったが、こうやってみるとホントにガキだなーとしみじみ思った。ガキはガキらしくしとくのが一番可愛い。
 振り替えで私鉄に乗り、目的地についたのは予定より15分遅かった。あれだけゆっくりしてたった15分かと自らの律儀さを少し呪ったが、いつもと違う道で職場へ行き余裕を持って一週間の最初の日を開始する事が出来た。