Thee Rang 跡地

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オーバーに言おう、もっと盛ろう。

 なみに「盛(サカ)ろう」ではない。「盛(モ)る」である。

 ある時、とある関東人が言っていた。「関西人は盛るから嫌い!」と。

僕は思った。*1「ええやんけ盛っても」と。

形容詞や修飾語はそのまま言うより、多少盛ったほうがおもろいし、聞く人にとってもイメージが浮かびやすい。エッセンスを抽出し強調して極論する事で、相手に強い印象を与えようという努力と取れなくもない*2。というかむしろ聞いている側も話し手のテンションを察して「あーこれはこのくらい盛ってるからホントはこんなもんだな」とかって推測するべき。というかというか、その盛りをネタにしてツッコミもしくはカブセで笑いにもっていくべき。「どんだけ盛ってるそれ!?w」とか、返しでもっと盛って盛り合いにもっていく、とか。
関西人もそうかもしれないが、この手の盛りは、外国人がよく使う。おそらく、そういった言語圏では「盛り」はむしろユーモアとかウィットとして捉えられ、好まれる。と思う。
特にアメリカ人は「盛り」が大好きだ。
ちょっと褒めるときでも、"Fantastic!"(幻想的だ!)とか、"Never seen such a great one!"(そんなにすごいの見た事ない!)とか、"Seriously outstanding!"(ヤバいすごい)とか非常に大きく出る。もっとおもろい人は突拍子も無い形容詞をつけたりする事もある。"Criminally delicious"(犯罪的に美味だ!)とか、"Constantly beautiful!"(ほんといつ見ても美しいね!)とか。美味しいお酒ちょっと飲んだだけで"feeling like in a dream!"(夢をみてる見たい!)とか。後は、何でもかんでも"Fxxin'"を付けるのも盛りの一種だろう。ここまで言われると、言われたほうはニヤリとしてしまう。どちらかと言うと下品なユーモア、といえるのかもしれないが、しかし言われたほうは悪い気はしないものだ。

盛りとはユーモア。大人の嗜み。
こういうユーモアは、会話の内容にとらわれず、常に余裕と客観性を湛えていないとパッとでてこないものだ。
大人同士でないと、盛り合う事はできない。*3
デイビッド先生の思い出
高校の頃、体育館で何かの集会のときに、僕はこそっと携帯電話を覗いていた。最後列だったのでバレないかと思いきや、後ろに潜んでいた英語の先生のDavidに見つかり、彼がつかつかと歩み寄ってきた。あちゃ〜…とか思ってると、小声で"Very cute one, where did you get it?"と、わざわざ僕の携帯を褒めに来たのだった。確かに派手な柄のビニールテープを切り取ってつなぎ目の見えない様に貼っていたのでかなり凝った携帯だったのだが、怒られると思いきや褒められるとは。思わず笑ってしまい力が抜け、どうでもよくなって携帯を閉じて前を向いた。彼のユーモアは、北風と太陽で言うなら、太陽的なやり方で僕を正したのでした。
ちなみにこの話には後日談がある。 
彼はこの後、何度か「あの携帯すごくいいよね、、どこで買ったんだ?今度店を教えてくれよ!」と言ってきた。どうやら彼は、僕を諭す目的でユーモアを用いて僕の携帯を褒めたのではなく、真面目にかわいい柄だったので気に入って聞いてきたらしかった。笑。
小盛りから始めよう
話はそれてしまったが、何を言いたいかというと、もっと盛ってもいい、という事を提案したい。気持ちに余裕を持ち、相手に微笑みを与えるため、慣れない人は小さい盛りから初めていこう。

*1:別に僕は関西人ではないが、少し耳が痛かったので言わなかった。

*2:但し、オーバーに言いすぎて、もしくは真面目に言いすぎて単なる「嘘」になってしまう「盛り」は良くない。話し手と聞き手に、盛っているという共通認識が必要。多分関東の人は盛る経験も盛られる経験も少ないので、その共通認識が捉えられずに、混乱してしまうのだと思う。

*3:繰り返すが、盛(サカ)るでは無い。