Thee Rang 跡地

https://solaponz.hatenadiary.jp/ 跡地

書評を書くという事

 れまで400近いエントリを書いてきたが、その中に書評は全くない("The World Is Flat"についてなど一部読書感想文のような物があるが、決して書評という体裁ではない)。書評を書かない理由は、

1.他人の文章を盗んで書くようで気持ち悪い
2.自分の解釈が筆者の解釈に100%合致するのかどうか不安
3.合致するにしても、自分が完全に読み込めたという感覚が傲慢に感じる
4.本のおもしろさを紹介しきれず、書評によって本が不当な評価を受ける可能性がある

というものだった。
特に4が重要で、自分が拙い文章を書いたばかりに、その本事態が不当に低く評価されてしまい、売れるはずだったものが売れなくなった…となれば筆者にも、Blogの読者にも申し訳ない。これは実は逆もあって、ホントは大した事ないつまらない本でも、書評の書き方によっては十年に一度の名作で、すぐにでも読まないと損をするような印象を与える事もできる。
さらにリスクとしては、同じ本を読んで違う解釈をした人との意見衝突というのもある。「ここはこう解釈すべきだ」とか、「真のメッセージはこうだ」とか、正誤の無い議論に陥ってしまうととてもめんどくさい。

しかし、最近、やっぱ書評という体裁のエントリも書いていこうかなーと思っている。
理由は、

1.読んだ本をできるだけ多くの機会でアウトプットしたいという事
2.どんな賢い人でも、本は一度読んだだけで100%解釈するのは不可能という事
3.せっかくコメント欄を閉じてClosedにしてるブログなので、意見衝突しようがないという事
4.おもしろいと思った本は、できるだけたくさんの人に読んで欲しいという事

というもの。
一番の動機になるのは「4」。書評は、基本的にオススメする本しか書かないので、そもそもの目的は「取り上げる本について、読者の人に買おうという気にさせる」こと。その本からどういう事が学べるかを僕なりに書けば、それが切っ掛けで探し求めていた本にたどり着く人がいるかもしれないし、新しい気づきを得る人がいるかもしれない。
また、「1」にしても、本はINPUTするだけではすぐに忘れていってしまう。本の内容を誰かに喋ったり、行動に反映させたりする事で徐々に血肉になってくる。しかし、こういう日々のメモ書きレベルのブログでも、しっかりOUTPUTする習慣を付ければ、読み方も変わってくる(他人に説明するという視点で読むようになる)だろうし、読んだ後も、書評エントリを読み返してみれば本の内容が頭に蘇ってきやすいかなーと思う。
3月は震災でドタバタとしていたのであまり多くの本を読めていないが、2月は移動が多かったのでかなり多くの本を読んだ。そのうちまた書きためて、ご紹介していこうと思う。