Thee Rang 跡地

https://solaponz.hatenadiary.jp/ 跡地

時間が解決してくれる、のか。

 だ中学・高校生や大学生のころには、自分一人ではどうしようもない問題を抱えて、一人悶々とする事が多かった。思春期とは読んで字の如くまさにそういう時期で、他人からみたら他愛もないような悩みでも、当の本人にとっては今後の人生を左右する、極めて重大な問題に思えて、相談もろくにできずひたすら精神的にまいってしまうのだ。

そんな思春期を振り返って、脳裏に浮かぶのが『時間が解決してくれうる』という一節だ。

人間の感情って、決定的に持続しない。これは何故なんだろうかといつも思う。どんなに嬉しい事があっても、その状態が続くとありがたみが薄れ、当たり前の状態になってしまう。理想の大学に入った時や、第一志望の会社になんとか内定をもらって入社した時、最初は浮かれていても、次第に慣れてきて、終いには疎ましくすら思えてくる。

他には、ずーっと会いたかった人にあって嬉しくても、同じ時間を過ごすにしたがってむしろ離れたくなったりすることもある。

が、もちろん逆もまたしかりで、思春期に味わう様なやり場のない苦しみだとか、親しい人との別れだとか、受け入れがたい現実だとかに打ちのめされたとしても、人間はいつかはそれに慣れてしまい、時間の経過と共に心におった傷を癒す事ができる。

他にも、例えば憎しみも続かない。どんなに恨みつらみを抱いて眺めた人がいたとしても、三年経ち、五年も経つともう近所のコンビニのアルバイトと変わらないくらい、ほつれた感情はときほぐされて、憎しみというよりもむしろ、かつて憎むということで関係を持っていたという懐かしさ、連帯感が勝ることすらある。

と、なぜこんな言葉を思い出したかというと、今回の震災で甚大な被害に遭った地域の映像や、避難所の映像を見たからだ。こういうと無責任で無遠慮なようだが、彼らの苦しみ、悲しみがいずれ時間によって僅かばかりでも流される事を願ってやまない。僕や他の皆が行っているわずかばかりの支援は、きっとその役にたってくれるのだろうと信じている。