Thee Rang 跡地

https://solaponz.hatenadiary.jp/ 跡地

批判/悪口の魅力

 題の書物や話題のテレビ、話題のWeblog、話題のTwitter…これらに目を通していて気づくのは、批判的なものがとても多いという事だ。ある人物に対する批判、特定の組織に対する批判、社会全体に対する批判、国に対する批判、ネットを見ていると様々な規模、分野の批判が頻繁に話題になる。あるものは厳密なロジック立てをされていて、あるものはおもしろおかしくごまかし半分で書かれていたりするのだが、やはり批判するという行為は多くの耳目を集めるというのは間違いない。 

批判的であるという事は刺激的であるという事だ。刺激的であるということは癖になるという事だ。癖になるという事は多くの人にとっても同様に魅力的なものであるという事だ。つまり、批判的であるという事は、多くの人にとって魅力的なコンテンツという事だ。

考えてもみれば、小学校の頃から、子供たちは悪口が大好きだ。道徳的には良くないことではあるが、それは悪口を一層おいしく味付けをする要素にすぎない。成熟していないコミュニティでは、悪口に加担しなかったというだけで悪口の対象となる事もある。

何も子供だけではなく、誰もが、これを読んでいる人も全員例外なく知っている事実として、大人も悪口が大好きだ。そんなことない、大人は分別があるものだという人もいるかもしれない。もちろんそういう人も多くいるだろうが、しかしたいていの場合、大の大人が数人寄ってたかって酒を飲んで、何が始まるかと思えば誰それの愚痴だ悪口だという事はとても多い。年も趣味も違う人間同士で共通して楽しめるコンテンツとして、とても分かり安く共有しやすく、笑いにしやすいのが悪口だ。それはイジリやネタにするといった言葉に変質する事もあるが、本質的には批判・悪口の要素を内包していると考えられる。

組織の団結を強めるための手法として、よく外部に強大な敵を作り意識を共有するという手法が取られるが、悪口はこの手法の普遍的でお手軽な手段で、その場に居る人間同士の奇妙な連帯感を生みさえもする。

つまり、悪口をいう、聞くというのは、(もうちょっと賢く次元を上げていうと批判する・批判を読むという事は、)人間にとって小学生から大人まで、どうしようもなく逃れられない嗜みの一つと言える。*1

僕はこのブログを、なるべく批判の道具に使わない様にしている。以前ブログを一旦締めるときに『解題』と称したエントリにも書いたが、批判をするという事はそれだけ角をたてるという事になる。僕には世界中の誰か一人でも二人でも、自分の書いた文章を書いて嫌な気持ちになってほしくないという気持ちがある。なので、ものすごく遠まわしに表現したり、とても微妙な皮肉を持ち出したりする事はまれにあるかもしれないが、できるだけ物事を批判セずに書くようにしている。
それでもどうしても批判する時は、かならず対象の良い部分や納得できる効能を検証し、かつ固有の事情を勘案した上でより建設的で前向きな提案としての位置づけで批判する、という位のスタンスでないと、フェアでない。

なにか情報を発信するものにとって、批判するというのはとても魅力的な事だ。より簡単な労力で耳目を集め、賛同者を得やすい。

実は僕はかつて、この『批判する』という事自体を目的としたホームページを作成していた事がある。作成してまもなくもして、すぐにネット中から注目され、アクセス数が跳ね上がり、色々な所で話題として取り挙げられた。このブログを書くのよりはるかに簡単にコンテンツを作成できる安易なものであったが、センセーショナルな趣旨であり、装飾的な文章を施すことによって驚くほど簡単に注目され、そしてたくさんの賛同者から意見が寄せられた
しかし、どうしても性に合わなかった。最初は、とりあえずアクセスを稼いでネット上で注目される存在になりたい、と思い始めたものだったが、注目されればされるほど楽しめなくなり、コンテンツ作りがおもしろくなくなった。
今であればアンチヒーローとしておもしろおかしく続けてみるのも有りかなとも思うのだが、当時はまあすぐにやめて、ページを消し去った。


最近、あなたは何かを批判しただろうか。
その批判は、フェアなものだっただろうか?
注目される事が目的で、安易に批判を口にしていないだろうか。
刺激的な批判や悪口に、無遠慮に乗っかったりしてないだろうか。

そういう記事を見かけても、安易に同調せず、自分なりに何がなぜ批判されているのか、批判するほかに評価する方法はないのかなど、自分なりにフェアな考えを持った上で読むことが、幅広い物の見方につながる。そもそも、上記のような事は、お行儀の良い事ではないし、マナー違反として多くの人から遠ざけられる。僕も忘れないようにしないとな…。

*1:無論物事の改善の中でとても重要な要素である。僕はこれを否定する気はまったくない。