Thee Rang 跡地

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多数決ってぁゃιぃ

 か物事を決めるときに、とても合理的な判断基準となるのが"多数決"だ。民主主義も多数決の原理に則って責任が割り振られるし、AKB48のメンバーも、誰が真ん中の立ち位置にくるかとかそういうのはCDについている投票券をファンが投票し、その総数で決められるらしい。

なので、多数というのは万能感を与えやすい。「こんなにたくさんの人がこっちを支持してますから!」とか、「あなた以外のほとんどの人はこっちの意見ですよ、あなたが間違えてるんですよ」とか言われたら、ああそうかなるほどそっちか、と思わないでもない。

しかしこの多数決というツールは、使い方を誤るととてもまずい方向に進む。
どういう点でまずいのかというと。

修正がきかない
多数決で決めたことは、のちのちにとても修正しづらい。反対意見が1割だろうが4割だろうが、決まってしまった後ではそれはまるで総意であったかの様に、絶対的に正しいととらえられる。
のちのちになって、『あれってほんとにあれで良かったんだっけ?』って誰かが、もしくはその場の全員が思っていたとしても、多数決というルールで決まった事というのは結果が明白すぎる分、覆る事が少ない。覆してしまうと、その後の多数決にも検討を挟まざるを得なくなってしまうので、特に決められた期限に向かって進んでいる場合は多数決を覆すことなど到底口にできるものではない。
深みがない
また、多数決というのは、得てして物事の本質や深みに届かない。なぜなら、楽をできるからだ。楽できる状況では必ず楽をするのが人間というもの。多くの人が、より安易な意思決定に流れてしまうのは仕方ない事だ。多数決だからといって、自分の一票のために時を忘れて研究に打ち込む人なんて、どこにもいない。3日間寝食を忘れて研究した末の一票と、近所の犬を持ってきてお手をさせてどのまんじゅうをとるかで選んだ一票は同じ重さ。例えばノーベル賞受賞者2人と猫3匹で多数決を執り行うとすると、とてもではないが有用な結果が得られることはない。これは極端な例だが、極端でないけども結構同じようなケースというのはたまーに起こりうる。
母体の性質が考慮されない
例えば三人の兄弟で物事をきめる時も、日本中で衆議院議員選挙を行うのも、同じ多数決というルールがまかり通る。しかしいうまでもなく、前者の一票はほぼ意思決定を確定するものになるし、後者の一票は文字通り掃いて捨てるほどの投票用紙の一山のうちの、ほんの一粒に過ぎない。仮にあなた一人が投票しなかったとしても誰も何も困らない。
多数決は多数が勝ちよという明快なルールがあるのだが、明快だというメリットが大きすぎて母体に関わるルールが無い一票の格差問題というのもある通り、本質的な問題点といえる。
多数決は国を滅ぼす
時に多数決は国や地域を滅ぼし、人々を虐殺し人類史上に残る残虐行為を助長する。
ナチスがあそこまで大きくなったのはうまく人心を掌握して国民にまっとうに支持された結果であって、何も洗脳や詐欺を行ったわけではない。まっとうな土俵で、まっとうな手段で築きあげられたまっとうではない政党だった。
また、僕の尊敬する山本夏彦氏は、汚職は国を滅ぼさないが、正義は国を滅ぼす」と言った。

多数決はロジックが途切れストーリーも何もなくなってしまうドライな手法だが、反面、スピーディーで明確に物事が決まるのであらゆる場面でよく使用されるが、人は頭からその結果を信頼するんでなく、必ずどっかで疑ってっかかる事で物事の進む方向が正しい向きになる可能性を、少し上げることができる。