Thee Rang 跡地

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”Political Correctness”の渡世

 治的に正しい(Politically Correct)という言葉をたまに耳にする。この言葉のそもそもの意味は、別に議会制民主主義だとか共産主義だとかの政治に関係なく、『言葉や用語に社会的な差別・偏見が含まれていない公平な表現であること』というものだ。

Wikipedia:Political Correctness



1980年代に多民族国家アメリカ合衆国にて始まった、「用語における差別・偏見を取り除くために政治的(Political)な観点から見て正しい(Correct)用語を使う」、という意味で使われる言葉である。またこれらの「偏った用語を追放し中立的な表現を使用しよう」という運動のみでなく差別是正全体を指すこともある。この運動は日本語等他の言語にも持ち込まれ、いくつかの用語が修正されるに至った。

例えば、アメリカでは昨今"Merry Christmas!"と言わずに、"Happy Holiday!"というらしい。"Merry Christmas!"だと宗教色が強いというのがその理由。日本のように、仏間でクリスマスケーキを頬張るような民族からはあまりピンと来ないのだが、アメリカにはムスリムもいれば、仏教徒も、ユダヤ人も、その他あらゆる宗派の人間が比較的高い割合で存在している。政治上であれ商売上であれ、彼らに誤解を招くような発言は慎むべきってことはわかった。んで慎むのはいいけど、代わりに何て言えばいいの?っていう時の為に、このPolitically Correct Wordsというのがあるんだろう。

宗教への配慮、とまではいかないまでも、日本でもこういった話は時折話題になる。

僕が小学校3年生の頃、学校で校長先生が『跛(びっこ)を引く』という言葉を使った事があった。その日の帰りの会で、教師が猛烈に怒っていたのをものすごく鮮明に覚えている。偉い偉い校長先生が担任の先生にここまで怒られるほど悪い言葉なのか、と思い、そういう言葉が世の中に存在するという事実に衝撃をうけた。そして、20年経った今でも心に残っている。
他にも"盲(めくら)"とか"聾(つんぼ)"などは現代でもお年寄りが普通に使う。しかしこのところこういった言葉を発することが『無遠慮』で『下品』であるとして、使ってはならない言葉となってしまっている。感覚としては、公共の場で"fxxk!!"とか"sxxt!!!"とかって叫ぶのと同じくらい、ひょっとするとそれよりはるかに重罪であるとして扱われるという感がある。

個人的にはこういった種の言葉を下品だといって非難するのは、東北弁を下品だといって非難するようで納得がいかない部分もある。しかし人間の言語なんて社会のコンセンサスによって如何様にも変化するし、その変化を咎めてはならないという金田一春彦先生の教えに則れば、この『言葉狩り』も決して無意味なものではないのだろう。

英語では、このPolitical correctonessを逆手にとって、身長が短い人の事を"vertically challenged(垂直方向に難のある人)"といってみたり、ブサイクな人の事を、「美容上、美容のために、外見を美しくするために」という意味である"cosmetically"を用いて、"Cosmetically challenged"などといったりする。個人的には、素直にtoo shortとかって言うほうがまだ上品な気がして、こういう洗練された嫌味というのはジョークなのか嫌がらせなのか判断に悩むところではある。

ただ、言葉を社会的にネグレクトする事で本来の差別意識だとか不平等だとかを置いてけぼりにして悦に入るのは趣味が良いとは言えないだろう。僕の小学校のころの教師はそれを丁寧に教えてくれたために、9歳の僕は校長先生の発言のどこがどのような観点から不適切な言葉なのかを理解する事ができた(納得とは違う)。

言葉狩りをすることで、人間のこうした悪い心がなくなっていくのならばどんどん言葉狩りをするといい。なんなら、日本語など無くなってしまってもいい。まあ絶対にそうならないのが生きた人間なんだけども。