Thee Rang 跡地

https://solaponz.hatenadiary.jp/ 跡地

久々に心を打たれたブログ

 々に出会った。

Face the world
http://face-the-world.blogspot.com/

AutherはMasaという男で、先日行ったフットサルで会った。もっと正確に言うと、さらに前に別の場所でフットサルをした時にもすでに会っていたようだ。今回は、フットサル会場から駅まで、そして京王線の車中しばらく行動を共にしたので、彼が誰かがようやくわかった。会社の同期だった(彼は退職済み)男だった。なんとなーく見覚えあるなあ程度だったのだが、かつてメールのやり取りをしたことがあるのを思い出し、話が盛り上がった。

そのかつての同期は、2009年に退社した。僕が勤める会社では退社にあたり同期全員にさようならメールを出すのが一種の風習になっているのだが、彼のメールは飛び抜けていた。


退職後は半年ほど放浪の旅に出るつもりです。〜中略〜その後、いちご農家にお世話になって農業を始めるつもりです。まずはストロベリーフィールズというところで研修をする予定です。まだシーズンではありませんが、贈答用などで使っていただけると幸いです。
http://www.strawberry-fields-jp.com/

半年放浪?いちご農家??と、おおよそ平凡なサラリーマンには刺激の強すぎる言葉が並んでいて、ちょっと興味を持った僕は本人を全く知らないながらも少しメールのやりとりをしてみたのだった。
そして、このBlogはまさにこのあたりから書かれている。

その後彼は宣言通り放浪の旅へ。といっても、Blogを読むとかなり綿密に計画を立てて旅をしている感じがした。しかし本当に世界中に放浪していきたいなら、必要と思われる範囲の事だと思われたので、感心した。

僕もバックパッカーをしていたのでよく知っているのだが、バックパッカーには本当にいろいろな種類の人間がいて、ただあてもなくそのあたりを放浪する人、一箇所に留まってだらだら過ごす(いわゆる沈没組)人、現地のチンピラのような連中とつるんで犯罪に手を染める人、など多種多様だ。そんな中で、貧乏なナリをしていても目的意識をもって、必要な準備をきちっとして、積極的に行動して、きちんと分別を持っていて、必要なことにきちっとお金を使って、ちゃんと行動した結果として何か新しい価値や発見を見いだしている人もいた。このBlogの筆者はまず後者だ。

彼の旅のルートは、東南アジアを経てアフリカ大陸を陸路で縦断するというとてもダイナミックなものだった。東南アジアはほぼ全ての国、アフリカは南アフリカ共和国からアフリカ大陸の東のほうのルートでエジプトを経てトルコへ抜ける。世界一周という話はちらほらきくのだが、アフリカ大陸縦断というのは聞いたこともなかったので驚いた。

中でも、ダイビングについてのエントリーが興味深い。


東南アジアを旅しているときや、ナミビアで会った旅行者からモザンビークはすごい、モザンビークに行けってことを何度か聞いていたんだけれども、実際何がきれいなのかどうすごいのかちゃんと聞かずにいたので特に用もなく通り過ぎようとしていた。しかし、かなりの高確率でジンベイザメやマンタに会えるという話を聞いてどうしても行きたくなり、タンザニアを目前にして、逆方向のモザンビークに立ち寄ることにした。
〜中略〜
ジンベイザメにはダイビングで出会えるのだとばかり思っていたのだが、ジンベイザメは水面近くにいるためダイビングではなくシュノーケリングで一緒に泳ぐことになるとのことだ。そして、ジンベイザメのいるポイントを探したりする必要があるため、現地ではOcean Safari(オーシャン・サファリ)という名前のサービスで通っている。陸のサファリ、ボート・サファリとやってきたが、ここではオーシャン・サファリというわけだ。


ジンベイザメと遊泳 in Tofo
http://face-the-world.blogspot.com/2010/04/in-tofo.html

僕もダイビングが大好きだが、モザンビークがすごいなんて話は聞いたことがない。ましてや、シュノーケリングでジンベエと泳げるスポットがあるなんて驚きだ。僕もかつてボートダイブをしていてジンベエに遭遇し、そのまま海に飛び込んで一緒に泳いだ事があるが、その記憶がありありとよみがえってきて、喉の奥がすこし熱くなった。
結局彼はジンベエに会えたのか!?続きはBlogで。

ちなみに、彼は二度ほど旅を中断し日本に帰国していた。一度目は妹さんの結婚式。そして二度目は、彼の実の父親が亡くなられたのだった。このとき彼は、ベトナムのHoa Binh(ホアビン)省のLuong Son(ルンソン)という村に滞在していた。決して装飾されていない平坦な文章が、余計に感情をかきたてたれ、没頭させられる。不躾を承知で以下に引用する。


ゲストハウスの人に携帯電話を借りて、何とか実家に連絡することができた。
最初に電話に出たのは母だった。
「お父さん、さっき帰ってきたよ。」

なんだ、昨日あんな状態だったのにもう退院したのか。無駄に心配してしまったなと思いつつ、病院でスカイプをする約束をした妹に替わってもらった。

「こっち(ベトナムのルンソン)は停電でさ。
まったくこんなに日に限って停電なんて困ったもんだよな。
インターネットも使えなくて。
みんなきてるの?
親父とは話せるのかな?親父と替わってよ。」

「お父さん、亡くなったよ。それで、さっき帰ってきた。キレイな顔してる。」

「えっ、何?帰ってきたってそういう意味なんだ。。。」

〜中略〜

昨日、もしものことが起きたときを想像してけっこう泣いたのにまた涙が溢れてきてしまった。



妹からの知らせ
http://face-the-world.blogspot.com/2010/01/blog-post_24.html

平素サラリーマンとして生きていると人生は平凡なもののように思われがちだが、実は人生とはかなり激しいイベントが入れ替わり立ち代わり現れる、渓谷の激流のようなものだと思う。だれもその運命に抗えないし、誰にも永遠の平和と安寧は訪れない。

永遠に続くと思われた幸せが、ある瞬間を境に地獄に変わる事がある。思いも寄らない土地で思いも寄らない人間と結婚し、思いもよらなかった生活をする人もいる。自分にかかわりのあるとても大切な人達は、どんどん自分から離れていくし、二度と会えなくなって初めてまた会いたいと思うような事もある。ふしあわせのどん底から這い上がって幸せを掴む人もいる。どこにでもいる普通の家族が、突然の大津波によって全員その生命を失う事もある。

そんな人生は旅を思わせるし、旅はまた人生を思わせる。『月日は百代の過客にして行きかふ年もまた旅人なり』と詠んだのは芭蕉だったが、かつて僕が薄暗いゲストハウスで蒸し暑くて眠れない夜、漫然として天井の扇風機を見上げた時に感じた、静かな潮騒のような不安と希望が入り交じった感情を、このBlogを読みながらありありと思い出した。旅をしていて良かった。

本当に久々に他人のBlogに心を打たれた。筆者のMasa氏のこれからの活躍を楽しみにしたい。