Thee Rang 跡地

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iPad2は語る

 余曲折ありつつもiPad2を手に入れて、少しいじってみていた。評判通りの薄さ、軽さ、美しさに感心した。3G版なのでGPSも内蔵されており、早く持ち歩いて使いたいと思わせられる。しかし触ってみると変哲のないタブレットPCなんだけど、あそこまで革新的で魔法のデバイス、というイメージを持たせるマーケティングは本当に素晴らしい。トップがものすごく効果的に機能しているとても良い例だと思う。スティーブ・ジョブスの行っている経営は、日本の神様・松下幸之助のように確固たる哲学に基づいていて、それでいてここまでユーザーに浸透しているのはまさにIT時代の寵児と呼ぶにふさわしい。彼自身に何が起こり、何を考えてこれまで仕事をしてきたかは2005年のスタンフォード大学での卒業スピーチに現れている。


2005年。

僕が大学4回生だった時代だ。このころようやく世間にはiPodというものの存在が浸透してきていた。まだまだ携帯MDプレーヤーが主流だった時代、PCに詰め込んでいた音楽を、HDDのまま外で持ち歩いていつでも聞けるデバイス、というのはとても衝撃的だった。当時のiPodはデカかったし、高かった。買っているのはほんのひとにぎりの人達で、昔からMacに親しんでいる、通称『マカー』と言われる人達、さらにその中でも音楽に興味のある人達、さらにその中でも海のものとも山のものともつかない新製品にとりあえず金を払って使ってみるといった性質のほんの限られた人達が、ようやくiPodを買って使っているような時代だ。

あの白いイヤホンケーブルは変わっていない。当時は、あのデザインも恐ろしく画期的だった。最近、赤くて平べったいケーブルのイヤホンメーカーが流行っている。あれは確かに美しいのだが、見飽きる。目につきすぎるのだ。その点、あの白いイヤホンケーブルは余計な主張をしすぎることなく斬新さを醸し出していて、白眉といえるプロダクトデザインだった。

全面タッチパネル液晶デバイスは夢じゃなかった。

あの頃、『デバイスの全面が液晶画面になっていて、それに振れることでコントロールする』というのは、ほんとうに、あきらかな夢物語だった。そう昔の話ではない、つい6,7年前の話だ。今のiPhoneのようなデザインと機能が"近未来デバイス"として話題になった事があったが、その実現を一体だれが信じていたのだろう。美しくなめらかに動く地図、高解像度の動画、ソーシャル機能、サードパーティーによるアプリ開発、メールの機能性追求、ビデオ会話、グループチャット、電卓etcetc。今手元にある携帯電話を、あのころのスラッシュドットやEngadgetにたれこめたらどれほどおもしろいだろうか。

神は細部に宿い給う

目の前にあるiPad2は、スタンフォード大学でのジョブズのスピーチから6年が経過してリリースされた製品だ。この6年のAppleの目覚しい、という表現では足りないほどの成長とイノベーションを、なによりも雄弁に語る存在だ。ジョブズという人間が周囲の人達に何をもたらしたか、周囲の人達がAppleという会社に何をもたらしたか、Appleという会社が既存顧客に何をもたらしたか、既存顧客たちが潜在顧客たちになにをもたらしたか、潜在顧客たちが無関心層に何をもたらしたか。
この製品には製作者の信念が宿り、それを持ち手まで伝播させているかのようだ。

まさか、長らくDOSパーツショップで働き、自他共に認める『ドザ(WindowsなどMicrosoft製品しか使わない人)』であった僕が、携帯とモバイルPCをApple社製品に占められるとは、、本当に驚きだ。