Thee Rang 跡地

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自由と制約

 1961年、ジョン・F・ケネディは大統領就任にあたり、『今日のわれわれの勝利が、政党の勝利ではなく自由の勝利だということを祝おう。』という冒頭からなる演説を行った。アメリカは自由の国であり、色々な国からの移民で成り立った人種の坩堝の国だ。それぞれの母国のしがらみや制約からのがれ、新天地で自由を標榜して国家を樹立した彼らは、独立戦争に勝利し、インディアンを駆逐し、大国を築き上げた。

しかし、自由は万能ではないし、崇める物でもない。イギリスの哲学者であるジョン・ロックは、「自然状態での自由は安全と財産にとって危険で望ましくないものであり、それ故、人は自然状態での自由を放棄し社会を営み政府を作り出すという。それが市民的自由である」と看破した。

社会生活を営む以上、どうしても必要な制約というものが存在するし、その最たるものが法律だ。法律を守らない自由な人間はたいていの国で投獄されたり、場合によっては殺されたりする。
この通り、人間の言う自由というものは、殆どの場合必ずある一定の制約の中での自由という意味合いがあり、すなわち制約あってこそのものだ。

この制約というのは曲者で、制約がないと自由が保証されないので良くない。しかし、制約しすぎると今度は自由がせばめられていってしまう。

吾人は自由を欲して自由を得た。自由を得た結果、不自由を感じて困っている。
BY 夏目漱石

自由が保証され、かつ、自由が最大限大きな状態を保てるのが、理想的な制約のあり方だ。

かつてアメリカでは、禁酒法を敷いてマフィア勢力の増大を招いた。また、日本でも、生類憐れみの令として犬猫を過保護にし、民衆の反感を招いた。

また、最近、色々な企業でPCやITシステムのセキュリティの重要性が説かれるようになった。しかしこの制約は、例えば、セキュリティがゆるいシステムだと、ユーザーは自分かってな変更をする事ができ自由度が高い反面、危険な悪意をもったシステム侵入者にクラッキングを許してしまう。

しかし、だからといってセキュリティガチガチにしてしまうと、今度は利便性が低下し、いきぐるしく生産性の低いものになってしまい、ITシステムの効果が発揮できなくなってしまう。

それだけならまだいいが、締め付けがきつい制約には、抜け道や逃げ道をさがそうとする努力が働き、結果として制約の意図していた範囲で想定外の被害を被る事がある。
例えば先の禁酒法の話もそうだし、セキュリティについても、思わぬ経路から情報流出したりする事がある。最近話題になったホリエモン収監にまつわる嫌疑(彼は粉飾決算は認めているが)も、ライブドアという企業幹部が自由を履き違え、暴走した結果に他ならない。
自由に制約は必要だが、制約が厳しすぎると、人は制約に依らない自由を求め、時として暴走したりする。


そういえば、就活の時に、仕事をする上で、制約が多いほうがいいタイプか少ないほうがいいタイプかっていうのを測るようなテストやったなー。僕は完全に後者だったけども。