Thee Rang 跡地

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遺伝子にまつわる有機的浪漫譚

 類史を数百年進めるとする。すでに宇宙進出が始まっていて、マイクロブラックホールを使い、何百光年もの距離を一瞬にして通り抜けるワープ航行を確立しており、太陽系の外で様々な惑星に居住環境を作り、惑星間を旅しつづけている。彼らは何世代にもわたって地球に帰還する事もなく、各銀河系で独自の発展を遂げていった。
人種や国籍も関係なくコロニーに散らばった彼らは次第に混血が進み、地球での国籍や人種ももはや意味のないものとなった。それだけでなく、近種での交配を繰り返す事により、感染症や遺伝子病に対して次第に脆弱になっているのが問題視されていた。
ある日、地球から一人の男がある惑星を訪れた。多くの女たちが彼の元へと殺到し、研究者達がこぞって彼の遺伝子を入手しようと争った。地球人である彼の遺伝子は、遠く離れた惑星にあって"原人類"の貴重な資源として研究対象となり、また、羨望の対象でもあったのだった。



昔、上記のようなSFを読んだ事がある。これだけ読むと、なんたる夢想事かと思うかもしれないが、しかし、僕はとても感動した。何に感動したかといえば、人間が宇宙に進出するとこういった遺伝子問題が発生するという着眼点は、まさに地球でも起こりうる進化の多様性や絶滅の現象の相似にすぎないからだ。

というのも、世界は既に爬虫類や哺乳類はかつて似たような事を経験している。大陸が陸続きだった時代、地球は今よりはるかに温暖で、平均気温は4〜5度高かったことが研究でわかっている。このとき広く分布した爬虫類や哺乳類が、大陸の分断によって各コロニーへと分散し、独自の進化を遂げる事となった。有名なガラパゴスや、その他世界中の離島などでは島ごとに独自の進化を遂げた動物が繁殖しており、別大陸の同種の動物とは似ても似つかないものも多くある。
ところが身近なところでは沖縄、有名なところではオーストラリアなどで、人類の進出に伴ってその島固有の生物が駆逐されるという事が多く起こった。先日話題になった、田沢湖クニマスなども、人類の開発がきっかけで絶滅したと考えられていた。(幸いにしてさかなクンの注意深い観察によって西湖で捕獲されたニジマスの中にクニマスが発見され、存在が確認されたのはとても素晴らしい事だった。)
地球環境の変化によって絶滅する動物がいるのは仕方ない。これまで何十億年もそうやってきたのだ。しかし、ポッと出の人類の進出が最も大きな要因で、無数の遺伝子を永久に失っていっているかと思うと、これはいたたまれない感がある。

考え方によっては、人間も動物の一種なので、人類の害悪も地球上での自然の摂理といえばいえなくもない。長い地球の歴史から見ると、気候の変動や隕石の衝突などに比べれば、とても些細な影響なのかもしれない。
しかし、これまでのあらゆる種に比して、はるかに広い高度範囲と繁殖能力を持った人間だからこそ、宇宙での生命の誕生の秘密を繙くきっかけとして、世界中に現存するあらゆる遺伝子の保護を厳密に行う必要があるのではないだろうか。

僕は動物園や水族館が大好きだ。だいたい旅に出ると、旅先でそういった施設を見つけて訪れるようにしている。そういった場所で、老若男女多くの人間が生物の多様性に感動するのは本能のようなものかもしれない。宇宙や死の世界があまりに荒涼として無機質なものであるからこそ、目の前の様々な形をした生き物を見て、人類は孤独ではないんだと心の奥底で感動しているのかもしれない。
子供は生物の多様性に驚き興奮し、大人は生物の多様性に安堵し癒される。それがああいった場所なんだろう。

道往く犬にも、網戸にへばりつくカナブン*1にも、水族館でガラス越しに見たベルーガ(白鯨)にも、生物としての孤独を癒してくれる遺伝子の多様性が溢れている。この有機的ロマンは、いつでも僕の想像をかきたててくれて飽きることが無い。

*1:もっとも、昆虫類は宇宙からやってきたという説もある