Thee Rang 跡地

https://solaponz.hatenadiary.jp/ 跡地

勇気の鈴

 のところ息子の好みも手伝って、アンパンマンの事について思いを巡らせている。といっても劇中のアンパンマンについて真剣にドキドキしたり喜んだりしているわけではなく、アンパンマンという存在を産み出した、やなせたかし氏について、少し調べた所、実はものすごい人だったのを発端として氏とその哲学について考える所があった。

やなせたかし氏は1919年2月6日生まれなので、御年92歳となる。これでまだまだ現役だというから恐れ入る。アンパンマンがヒットして有名になったのは50歳を過ぎてからだそうで、遅咲きの漫画家とのことだった。

年齢的に当然、戦争を経験している。父親は戦死し、弟は特攻隊員となり太平洋上で散った。さらに本人はビラを作成するなどしプロパガンダ宣伝活動を行っていたという経験から、戦後、反戦感情を強くした。

しかし、氏はアンパンマンを通して、安易な勧善懲悪論を説いているわけでは無かったアンパンマンは、他人に自分の頭をちぎって分け与え、お腹いっぱいにさせる事で勇気を与える。これは、やなせたかし氏の、ある信念の表れだった。

究極の正義とは
「究極の正義とはひもじいものに食べ物を与えることである」とは彼の言。戦中戦後の貧しい時期を経験し、またそのキャリアの殆どを売れない作家として過ごしていた彼は、なんども空腹に苦しめられたという。そこから、空腹とは不幸であり、空腹の他人を救う事は最上の正義という信念を持つこととなった。彼の中での絶対正義は、『飢えた人を救う』という事だという。それを体言しているのが、アンパンマンという存在なのだった。

実際に、激動の時代を生きた人の言葉として、我々のようなゆとり世代には非常に訴えかけてくるものがあるエピソードだ。

戦中・戦後
彼の半生を追っていると、同じ時代を生きた僕の祖父について考える所があった。
僕の祖父は士官学校を経て陸軍に入隊した頃戦争が終わった。戦闘経験は無いにしても、あの時代に生きたという事は我々よりはるかに多くのものを心の中にしまい込み、背負っているのではないだろうか。しかし祖父は、僕には語らない。時折、僕がねだって古いアルバムを開いて陸士時代の写真を見ながら話を聞くことがあるが、祖父自身が辛かったり悩んだりした話は、ついぞ聞いたことがない。
一度、シベリアに抑留された友が多くいる、という話をきいた事があったが、それについて聞かされたのはその時だけだった。僕はその時、シベリア抑留の悲惨な歴史を知らなかったので、後から調べてみて驚いたのを覚えている。
実は感動する、アンパンマンマーチ
このエントリのタイトルは、『勇気の鈴』だが、これは『勇気りんりん』という、やなせ氏の作詞した曲から取っている。この『勇気の鈴』という表現、素晴らしい。人は何かに挑戦し、自らを奮い立たせる時に、心のなかでこの勇気の鈴をりんりんとならしている。人は弱い。弱いものに流されそうになるとき、人は自らかき鳴らした勇気の鈴のその音に触発され、安寧に阿る身を引き剥がし、より高みを目指して登り始める事ができる。

アンパンマンのマーチ』も、とても深い。

アンパンマンのマーチ
ここにはかつて歌詞がかいてありました

『たとえ、胸の傷が痛んでも』、『なんのために生まれて、なんの為に生きる、答えられないなんて、そんなのは嫌だ』、『何が君の幸せ、何をして喜ぶ、分からないまま終わる、そんなのは嫌だ』、『時は早く過ぎる、光る星は消える、だから君はいくんだ 微笑んで』、『忘れないで夢を、こぼさないで涙、だから君は飛ぶんだ何処までも』

…、こうやって書きだしてみると、およそ児童向けとは思えない内容だ。氏の戦争が、彼の原体験として強烈に影を落としている事がありありと見て取れるし、人生のはかなさ、人の脆さというのを生生しいと言えるまでにあぶりだすようだ。それら全ての悲しみ、悩みを振り払うべく、アンパンマンは今日も悪を倒し、仲間を救う。

この歌詞を読み上げながらなんとなくYoutubeで曲をきいていたら、不覚にも涙がこぼれ落ちていた。おかしいことに、何度再生しても涙が出てくる。
子供にとってはアンパンマンの歌、というだけの曲であっても、大人に対しては強烈に意識に食い込んでくる、人生のはかなさと、幸せという無形の財産の価値を思い起こさせてくれる名曲だった。一度、歌詞を口で追いながら、聴いてみてほしい。
動画消しました

そしてCGへ
…関係ないが、このアンパンマンのオープニングテーマに、CGが使われているのを知って衝撃を受けた。ばいきんまんがヌルヌル動いている・・・!

動画消しました