Thee Rang 跡地

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治水インフラ

  年は津波、台風と水害が多く、改めて水の怖さを思い知らされる年だった(まだ終わってないが)。日本はもともと急峻な地形なので、どうしても川は狭く水量豊かで流れが急になりがちで、平野部では歴史上絶え間なく川の氾濫に悩まされてきた歴史がある。また、地層が安定していないので土砂崩れなど土による被害も併せて被る事となってしまう。
名だたる戦国大名も、一国の主として経済の発展が戦力や政治に大きく関わってくるため、治水に大変力をいれたそうだ。僕は昔、社会の時間に武田信玄の治水について習った事がある。

信玄堤
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%A1%E7%8E%84%E5%A0%A4


信玄堤(しんげんつつみ)は、山梨県甲斐市(旧竜王町)にある堤防である。霞堤(かすみてい)。戦国時代に甲斐の守護、戦国大名である武田信玄(晴信)により築かれたとされる。史料上では「竜王川除場」と記されており、「信玄堤」の呼称は江戸時代後期から見られ、近代以降に一般化した。また、霞堤をはじめ「信玄堤」と呼ばれる堤防は武田氏以降のものを含め県内各地にも存在する(『甲斐国志』に拠る)。竜王堤。

洪水の恐怖
洪水は全てを、文字通り『水に流す』。田畑は水浸しでぐちゃぐちゃになり、家も家財も押し流される。車は水没すると故障するので、廃車にするしかない。経済的にはもちろん、精神的に水害というのはとてもダメージの大きいものだ。また台風は進路予測が立てられるのでまだいい(といっても対策を講じても無駄な規模の台風もある)、ゲリラ豪雨的な大雨によっても水害が引き起こされる。
先日もどこかのニュースで、道路と道路の交差点で、一方の道路が地下に潜るようになっている箇所に大雨で水がたまり、そこに冠水によって故障した車が飲み込まれ、中に乗っていた方が死亡するという事故があった。途中で脱出しようにも水圧でドアは開かず、電気系統の故障のためパワーウインドウも動かない。為す術もなく、携帯電話で助けを求め続けたまま沈んだというから、むごい話だ。
津波に至っては語るに及ばない。今年のように大地震を伴うものであればまだ津波が来るとわかるが、地球の裏側、チリで発生した地震が原因でも津波が引き起こされる。何の情報も得られない時代、いきなり津波に襲われるという状況は、まさに日本人にとって青天の霹靂、神や仏の仕業だ祟りだと不安を覚えた事だろう。
不動産価値への影響
3.11以降、水際のマンションや土地の値段が急落している。不動産投資を行うのに、水害のリスクがこれまで過小評価されていたという事なのだろう。洪水のリスクもさることながら、新浦安などでも問題となった液状化現象も水害と言えなくもない。
タイのバンコクでは、大雨によって道路の冠水が起こることなど日常茶飯事だ。チャオプラヤ川のほとりに栄え、海に隣接する都市だけに、バンコクに暮らす人々は、洪水をとても恐れている。実際、海の際のほうに住んでいる人たちは、まことしやかに数年経てば自分たちの済む土地は水没するのだと噂しあう。僕は最初冗談かと思って聞いていたが、実際に洪水となった道路を見るにつけ、本当に洒落にならないと思うようになった。
バンコクは不動産投資真っ盛りで、タイ人の労働者がワンルームマンションを投資用に購入し、貸すような時代となった。コンドミニアムは作れば作るほど売れていく。それも、実際に建築が始まる前、建設計画が定まってまだ書類上にしか物件が存在しないという段階で、飛ぶように売れていくのだ。竣工前には完売という物件も珍しくない。
この不動産バブルに湧くタイでも、これから先、水害リスクは大きく影を落とすことになるだろう。詳しくはまた別の機会にでも調べて、書いてみよう。
治水の歴史は文明の歴史
人類は、古代に初期の大文明を築いた頃から、つねに大河や港湾と隣りあって生きてきた。すなわち、治水は文明の歴史と直結していると言える。僕らの遺伝子には、水の神秘性やありがたさと共に、水に対する恐怖もありありと刻み込まれている。僕も住居や生活の場を考えるにあたり、ちゃんと水害リスクを考慮しておかないと、なー。。。