Thee Rang 跡地

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未来(の自分)を信じるな

 いう後ろぐらいタイトルだが、そんなに後ろぐらい内容ではない。趣旨は、『自分は思ったより成長しないし事態が好転する事もないから、今の自分だけ信じよう』というものだ。

夏休みといえば計画倒れ
全てとは言わないが、ほとんどの日本人に当てはまるのが、『夏休み=計画倒れ』という図式ではなかろうか。教師たちは一学期の終業式に、決まって「いちにちの計画表を作って、それに従って規則正しく生活しましょう」と言う。そこで多くの小学生たちは、大きな○をかかされて、例えば22:00〜6:00は睡眠、10:00〜12:00は勉強、18:00〜19:00は晩ご飯、、、などと、いびつなピザのように円を分割して色付けし、イベントを記入していく。

僕は昔からこの作業をとても不思議に思っていた。一体だれがこんな計画に従って生活できるというのか?できるとすれば、そいつはロボットかゲームの中の登場人物くらいじゃないのか?せめてもっといくつかのパターンがあるべきなのに、なんでひとつしか○が用意されてないのか?等々。

んで実際こんなもの守る人は居ない。長期計画表にて、どこで夏休みの宿題のどこまで終わらせるか…というのも書かされる、目の前の長期休みに心を奪われた小学生にそんなものが覚えられる訳がない。そんな紙はせいぜい終業式の日にきれいにたたまれてランドセルに押し込まれ、夏休みの半ばくらいにくしゃくしゃになった姿で発見されるのがオチだ。

計画の不計画
『計画を立てる』というのはとても曖昧で危険な言葉だ。なぜなら、『今やらない』ということを正当化するほとんど唯一といっていいほどの代替手段だからだ。大抵そこには下のような気持ちが込められている。

今は時間もないし忙しいし、やっても不完全なものになるだけだ。それに、ちゃんと段取りを決めないと到底なし得るものではない。それなら、いつやるかを決めておいて、その時その時の自分に任せよう。ああよかった、これでOK。すっきりした。

ところがどうだ。いざその日になっても、色々予定が入っていたり、少し体調が悪かったり、先に処理しなければいけない事を思い出したり…、色々な事がどんどんおこって、とてもではないが計画を遂行するどころではない。少し計画をずらそう、もう少しずらそう・・・と考えていくうちに、いつのまにか計画ははるか後方へと追いやられていく事となる。

未来の自分は無能で怠惰
それもこれも、未来の自分を過信しすぎる余りに起こる悲劇といえる。三日後の僕ならもう他の用事も片付けていて体調もよく、何の心配事もなく予定をこなせるだろう…とか、三ヶ月後ならもう相当勉強も進んで詳しくなってるだろうから、これぐらいは余裕でできるだろう…とか、将来の自分を何の根拠もなしに信じこんでしまい、計画の無謀さに気付かない。いや、気付きそうでも、気付かなかったふりをする。

たとえば受験勉強でも、夏休みはあれやって、冬休みはあれやって・・・きっと受験までにはすごく賢くなってる!とかって勝手に想像する人がいる。しかし、実際にその期間を過ごしてみて初めて、半年後の自分は、半年前の自分と全く変わらなかった事に気付く。思ったより賢くもなってない、思ったより成績も上がっていない。一体なにを積み重ねてきたんだろう、他の人はきっともっと賢くなってる、不安だ・・・と、まあこのような具合だ。心配しなくても、皆同じようなことで悩んでいるというのに。

目の前のタスクを一つ一つこなしていくのも大事だ。しかし、計画を立てるほど大変な事を成し遂げる必要があるときは、以下の当然の事実を忘れないようにしたい。最も信頼できる自分は、未来のどの時点での自分ではなく、今ここにいる自分だけだと信じよう。

・未来の自分は、今の自分より忙しい。
・未来の自分は、今の自分より体調が悪い。
・未来の自分は、今の自分より怠け者。
・未来の自分は、今の自分より無能。