Thee Rang 跡地

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ペットボトルでお茶飲もう

 校のころのある友人は、ある日スーパーでペットボトル入りのお茶を買っているとき、『お茶なんて買うものじゃない!家でお母さんに作ってもらいなさい』と、見知らぬおじさんに怒られたことがあると言っていた。今でこそお茶を自販機で買うのなんて当たり前になってしまったが、ちょっと前の田舎の人の肌感覚としては、このおじさんのような感じが今でも残っているものと思う。お茶なんて、外でわざわざプラスチックの容器に入っているものを買うものではない。家で、急須から湯飲みにいれて啜る物だ、というものだろう。
このBlogの読者の人にもまだこういう感覚が強く残っている人もいるだろうし、むしろこういう感覚しか無いという人がいても不思議ではない。なぜなら、僕も少なからずこういう感覚を捨て切れていないから、だ。現にその友人も、特に言い返す言葉が無かったといって苦笑いしていた。

ペットボトル入りのお茶
1990年、伊藤園が『お〜いお茶』をペットボトルにつめて販売した。このころから日本国民に『外で買い、歩きながら緑茶を飲む』という認識/習慣が浸透し始め、2000年の『生茶』、2004年の『伊右衛門』などの誕生により完全に根付いた格好となり、巨大なフォロワーを次々と産み出していった。
当初は清涼飲料水のたった0.5%のシェアだったというが、2001年には烏龍茶を抜き去り、今や市場規模4500億円の大規模市場となってしまった。
伊藤園の慧眼
この現象は、ほぼ伊藤園のシナリオ通りといって問題ない。伊藤園は、お茶がどれだけ家庭で飲まれているが、家庭外で飲まれているかを算出し、また、コーヒーや紅茶などについても同じように調査を行った。結果として、緑茶が缶コーヒーのように外で飲めるようになれば、巨大な市場になるだろうと予測し、そのとおりになるよう業界をリードし続けてきた。類稀な慧眼といって良いように思われる。
コーヒーは嗜好性が強く、烏龍茶は止渇性が強いという観点から、その中間にある緑茶の可能性に目をつけたというが、これも素晴らしい。確かに、喉が渇いたからといって缶コーヒーを買う人はそういない。同じように、味をゆっくり楽しみ、落ち着きたいからといって、烏龍茶を手に取る人もそういないだろう。しかし、このそれぞれの目的をもった人が、緑茶のペットボトルを手に取る事は自然な事といえる。
僕自身の体験としても、止渇性と嗜好性、この2つが重要になる大学の講義などでは、たいてい緑茶携えて勉強していたように思う。
もう一つの可能性
この緑茶のペットボトル化、僕が素晴らしいとおもう波及効果の一つに、『海外での緑茶の認知度向上』がある。
タイに訪れたことがある人はよく知っていると思うのだが、コンビニやスーパーには日本チックなイラストが書かれた緑茶が大量に陳列されていて(ちなみにトップメーカーの名前は"Oishi"という)、庶民に愛される飲料となった。味は加糖されたりしていて少し違う部分もあるのだが、加糖されていないものを好む人も多い。タイだけでなく、アメリカでもペットボトル入りのお茶が販売され、オーガニック指向の人にウケたりしている。

『お茶なんて買うものじゃない!家でお母さんに作ってもらいなさい』…これは、大半の日本人が一時期まで持っていた共通認識だったであろう。十数年前まで、日本のお茶は日本人が日本の住宅だけで愉しむものだった。
しかし、核家族化や若者文化も手伝っているのではあるだろうが、いつでも手軽に楽しめる緑茶、海外で外人も楽しめる緑茶、という利便性は、お茶とその生産者の地位向上に大いに貢献しているものと思われる。

言い過ぎでなく、緑茶は日本人の心であり、家庭の象徴とも言うべき飲料だ。いつどんなときでも、緑茶を口にするとなんとなく冬のコタツでボロテレビを見ながらのんだ湯のみとお茶を思い出せるし、おそらくこの先死ぬまでそうなんだろうと思う。
もし可能なら、家のお茶ももちろん大好きですよ、でも、家庭だけでなく外でお茶を買えるようになり、やっぱり良かったんですよ…、とそのオジサンにいまから言い返しに行きたいもんだ。