Thee Rang 跡地

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芸術、ときどきパトロン

 術にパトロンあり。

パトロンは, ラテン語の「父 (パテル: Pater) 」から派生したラテン語の「私的庇護者 (パトロヌス; Patronus) に由来する.

秀吉の入れ込みで千利休が茶道を大成させたり、シュラッテンバッハ伯爵の寵愛により天才・モーツァルトがその才を存分に発揮し大音楽家となったり、フランス王朝がレオナルド・ダビンチを寵愛したり、日本の梨園角界でもやはり優秀な人材は目をかけられて出世したり、こんなものは例をあげていくと枚挙に暇がない。

芸術というバグ
そもそも人間は、感動したからと言って飯は食えない。この世のものとは思えない美しい音楽や絵の、無限にも感じられる創造性と卓越したアイデアは言葉を失うほど魅力的で衝撃的なものだが、それで腹がふくれるかというとそうでもない。動物界に芸術という概念が存在しない様に、この芸術を創造する、理解する、という点は人間の高尚な感情にのみ存在する、哺乳類の脳に発生したバグのようなものと言っていい。

つまり、生物が生物として生きる(=安全な場所に居住し、安定した食料供給を得る)という自然の摂理に背く行為が芸術の創出活動であり、これを熱心に行う芸術かであればあるほど、自己が生物としての義務を果たさず芸術を創出する代わりに、生物としての義務を代わりに果たしてもらう存在が必要となる。それが、パトロンとなる。

持ってないものを、欲しがるもの。
んでパトロンはどういう利益があるのかといえば、これは芸術家とは反対に、生物として生きる事については文句のつけようのないほど成功している人が多い。王様であったり大富豪であったり、大物政治家であったり超有名人であったり。しかし彼らは、生物としての義務は十二分に全うしてしまったため、今度は義務の外にある、自分の到底手に入らないような価値を追求したがるものだ。
自分はでかい家もある、うまい飯も食える。ただし、きれいな絵がかけない、うまく楽器が奏でられない。いくら金をつんでもこればかりは買う事ができず、こういった芸術を自分のものにしたければ、自分の分身を作ってその道を極めてもらえばいい。・・・とまあ、こういう欲求が少なからずあるものなのでは無いだろうか。

この考え方の根底にあるのは、芸術そのものへの所有欲と見立ててはどうか。芸術家でなく、芸術。自分が芸術を生み出せないのなら、自分の手元に芸術を置いておくには、芸術家をおいておくしか無い。自律できない芸術を所有する事で、生物としての存在価値に加えさらなる付加価値を自己の人生に意味付けようとしているのだ。

パトロンのない芸術家
芸術を志す人は多い。しかし、成功するのはサラリーマンに比べ、ほん〜〜〜の僅かの一握りという世界だ。ゴッホという天才ですら、本人は自身の成功を知る由もなく他界してしまったので、いくら有名になろうが絵が高値で売れようが、本人にとって関係のない出来事だった。

運がよければ、成功しなくともパトロンがつき食うのに困らない、、、ひょっとしたら人より豪華な暮らし、、、が出来る事もあるのかもしれないが、そんな事を期待するのは宝くじを期待するのに似ている。
ほとんどの芸術家は、生物としての摂理に反する行動に命をかけて取り組みながらも、やはり生物としての摂理にある程度したがって、食っていくだけの収入は別で確保しながら生きているというケースが殆んどだろう。そういう行為を高尚というのかどうかは、僕は知らない。しかし、彼らが追い求めるものに確かに人間の幸せが宿るのならば、彼らがそれを行う事で人類の生活が豊かになると思われる。

・・・僕ももしもいつか芸術を志すような事になったときは、心強いパトロンがいてくれると、とってもありがたいのだが・・・・。


旅行にいっておもしろい手記でも頑張って書いてみるので、パトロン急募。