よい結婚式と、そうでもない結婚式
ご結婚おめでとう!お二人のこれからの生活が、末永く幸せと希望に満ちたものでありますように。
と、今日もまた友人のお祝いをしてきた。今年一発目の結婚式、主役は高校のころ部活で同期だった友人で、学校で一番厳しいといわれていた部活の練習を、苦しみながらもともに乗り越えてきた仲間だ。
28にもなると、友人の結婚式には頻繁に招待される。全国色々なところで結婚式に参加したが、やはり結婚式にも良し悪し・・・というか、出席した感想が良い結婚式と、そうでもない結婚式がある。思いつく範囲だと・・・
悪い結婚式
飯がそうでもない。
いうまでもなし。店屋物オードブルみたいなものが出ると悲しい。
スタッフの気遣いがそうでもない。
論外。式場選び時間なかったのかなあと思う。
余興がそうでもない。 楽屋落ち・内輪ネタは論外。節度が底抜けにない、タイムキーピングが出来てない、しつこい・・・なども論外。「早く終わってくれー」と心の中で願わせないでほしい。緊張でガチガチ・・・というのは逆に好感が持てるが、あまりに酷いとこちらも手に汗握ってしまうのでやめてほしい。
傍観者のようになってしまう。
俺は式に参加しにきたのか?それとも式を見に来さされたのか?と不思議に思う事もしばしば。
同じテーブルにいた人に、「誰だったのあの人?」ってなる。
せっかく数時間席を共にしたのに、会話が最初の挨拶だけ・・・。そもそも何者か知らないけど?っていうのがたまにある。事前に新郎から、「同じテーブルの○○さん、こういう人だから。」っていう案内が簡単にでもあると、話の種にもなるのに・・・。
新郎新婦が幸せそうだけど、楽しくなさそう。
結婚式の準備が大変なのも、二人とも仕事で忙しいのもわかる。ひょっとしたら、親がしろというから結婚式をしました、私たちも外国でこぢんまりやりたかった・・・ってパターンもあるのだろう。こういうとき、「でも、俺らも忙しいよ?三万+交通費は大金だよ?」ってなる。
良い結婚式
飯がうまい。
ご祝儀代で足りてるか!?と思うような豪華料理や、すばらしい素材を活かした料理などが出てきたときは、それだけで「来てよかった!」と思わされる。以前、とあるミシュランに乗っているレストランでの挙式に参加したとき、パイで包んだ神戸牛とフォアグラというメニューが出てきた事がある。一口食べた瞬間、「うまいものを食べる」という人間の根源的欲求が優しく満たされるのを感じた。
スタッフの気遣いがよい。
暑い寒いやたちっぱなしでしんどい、時間がなくてあせる・・・といったゲストの細かな機微を捉え、それを優しくフォローアップしてくれるスタッフが揃っている式場は、本当に安心してお祝いができる。スタッフ間の意思が暗黙のうちに連携され、サービスとなって提供される時に、まるでジャズセッションを聞くようなプロの美学を感じる。おそらく、こういうところはスタッフ教育が行き届き、一人ひとりの意識が高いのだろう。
余興が気持ちがこもっており、つい目を惹かれてしまう。
主役とゲストを喜ばせようと、懸命に披瀝される余興は素直に見入ってしまい、自然と拍手をしてしまう。技巧が伴っていればなおさら、インパクトが強い。一度、ピアニストとジャズシンガーの余興を見たことがあるが、迫力に圧倒され、感動した。
参加者へ十分な参加意識が芽生える。
事あるごとに参加者にまつわるエピソードを披露したり、主役二人が席にきてくれたりすると、お祝いもできるし写真も撮ったりできる。俺たちがお祝いしてるんだ!という気がして、もっとお祝いしてあげようという気持ちが盛り上がる。
参加者同士の交流が十分できる。
懐かしい面々や、興味深い業界の方たち、違った立場の方たちと同じテーブルにつき、さまざまな話に花を咲かせるのが楽しい。これがきっかけで新しい活動がおこったり、場合によってはビジネスや結婚などの結果に結びつく事もあるだろう。「お祝いしてたのにすごく話せる友達ができた!」「みんな頑張ってるんだな、俺も頑張ろうって気になった」と思える結婚式は、いい結婚式だった。
新郎新婦が楽しそうで、幸せそう。
なにより、二人の幸せをお祝いしにきているので、二人の楽しそうな顔をみるとこちらもうれしくなる。結婚式に招待してくれる友人は、あまり普段会わない人もいる。久しぶりに見る友人の顔が笑顔だと、結婚生活が幸せなものになるだろう事を信じられるし、これからも家族ぐるみで是非遊びたい・・・という気になるものだ。
という感じか。
皆さんどうでしょうか?
そして皆さんのときはどうだったでしょうか?
まだの皆さんはどうされたいですか?