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【書評】”伝説の名著”「日本語」(金田一春彦)

 が高校の頃に著作を拝読して以来、尊敬してやまないのがこの金田一春彦先生。おそらく、小学校の頃に学校でかわされた国語辞典に、監修として彼の名前を見た事がある人も多いだろう。一族が言語学者という、生粋の学者ファミリーの一員だ。彼の父も言語学者金田一京助氏。そして、長男も言語学者である。
彼の代表的著作は、なんといってもこの「日本語」。僕が持っているのは岩波の文庫だが、確か高校生のときに祖父の書架を漁っていて見つけたのが最初だったと思う。すぐに借り受け、読み始めた。
これがおもしろいおもしろい!

知られざる日本語
普段、我々は当然日本人なのでテレビや本でたくさん日本語に接する機会はあるが、実は日本語についてじっくり考えたことってあまり無い。僕がこの「日本語」から学んだ事で特におもしろかったのは、以下の事実。

日本語に「みゅ」という発音は存在するが、どの単語にも存在しない。しかし、例外として2つの単語だけ、「みゅ」がつくものがある。それは何か。「豆生田」さんと、「大豆生田」さんという苗字である。(それぞれ、まみゅうだ、おおまみゅうだ、と読む。

たしかに、「ミュ」なんて言葉は聞いたことがない。金田一先生は努力の人で、タクシーに乗ったらドライバーの出身地を市町村レベルで的中させるほど日本中を歩きまわった人なので、彼が言うのなら、確かに全ての日本語の中で豆生田さんと大豆生田さんしか、「ミュ」という音を持ってないのだろう。

以下に、適当にパッとめくって目についたおもしろい箇所を抜粋。


・男のことばと女のことば
日本語で特徴的なものの一つに、男女の言葉の相違が挙げられる。
〜中略〜
両者の違いは、極めて明瞭である。
「あなた」
「なんだい?」
あとは言えない
ふたりは若い
サトウハチロー作詞「二人は若い」)
こんな短いことばで、男と女とその年格好や相互の関係までほぼ推察させうるのは、たしかに日本語の特色である。


日本語では、階層による言語のちがいのはげしかったのは、なんといっても中世で、貴族・武士・僧侶・町人・農民それぞれ別の言葉をしゃべっていた。〜中略〜 『東海道中膝栗毛』の中の次の会話などは武士のことばと町人の言葉のちがいをよく表している。
侍「してお身たちは江戸者だな」
北「さようでございます。私どもは夜前の泊まりでゴマノハイに取りつかれて、大いに難儀をいたします」
侍「はあ、それは近頃気の毒じゃ。なるほどゴマノハイのさしたのは痛かろう」
北「いやゴマノハイと申すは、ドロボウのことでございます」
侍「ドロボウとはなんじゃ」
北「はい、ドロボウと申すは盗賊のことでございます」
侍「ハハァ、なにか人のものを取りよる盗賊のことをドロボウと言うか」
北「さようでございます」
侍「そのまたドロボウをゴマノハイと言うのじゃな。なるほど、解せた解せた」

こんな感じで、けっこうフランクに日本語についてかかれているのが、この「日本語」。例えば外国語と比べたら日本語にはこういう特色がある、だとか、地域によって異なる日本語の特色だとか、時代によって異なるものだとか、こういう使い方もあるだとか、文法の特色だとか、日本人が読んだら目からウロコの事が山ほど書かれている。学者にしては自由奔放な語り口で、読んでいて胸のすく思いが強くなる。

とてつもない影響をうけた本
僕はBlogをこうやって書いているのも、遠からずこの本の影響によるものと言える。この本がなければ、日本語を綴る楽しみも分からなかったかもしれない。日本語のもつ美しさにも、それがどういうものかも、気づかないままだったかもしれない。人の文章をみて美しいと思う事も無かったかもしれないし、他人が見て美しいと思える文章を書きたいという気持ちも無かっただろう。

この本には文字通り人生を変えられた。日本語を観察対象として、鑑賞対象として楽しむという事を教わり、他人の言葉により豊かな発想を抱くことができるようになった。この本自体も大変美しい日本語で書かれてあるのが、一層読むのを楽しくさせている。

普段から日本語の本をよく読むという人、日本語を書く機会が多いという人にはぜひぜひオススメの一品だ。1957年に出版されたとは思えないほど、新しい気づきを与えてくれること間違いなし。人は死ぬが、言葉は決して死ぬことはない。金田一先生の遺した*1日本語研究は、いつになっても第一級の史料として日本語が絶えるまで語り続けられるだろう。

Amazonでは、同じく岩波書店から刊行されている「日本語(上)」、「日本語(下)」が購入可能なようだ。「日本語」については、中古品からの販売となっている。

日本語〈上〉 (岩波新書)
日本語〈下〉 (岩波新書)

*1:2004年5月19日死去