Thee Rang 跡地

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盲目の男たちと象

ある寓話。


インドスタンに6人の男たちがいた。
学ぼうという気持ちが強く、
象を見に出かけた。
(全員目が見えなかったが。)
じっくり観察すれば
心が満たされるだろう、とみんな考えていた。


最初の男は象に近づき、
うっかり転んだ拍子に
大きくてがっしりした脇腹にぶつかり
こう叫んだ。
「おやおや、象とはのようであるぞ。」


2番目の男は、牙に触れて大声をあげた。
「おお! これはなんと
丸くて滑らかで、しかも尖っている。
わかったぞ、この象というものはのようだ!」


3番目の男は象に近づき
手に掴んだのがくねくね動く鼻だったので、
大胆にもこう言った。
「なるほど、象とはまるでヘビのようだ!」


4番目の男は手を伸ばして
ひざのあたりを熱心に触った。
「この不思議な獣はまったくでこぼこがない。
きっと象とは、のようなものであろう。」


5番目の男が触れたのは耳だった。
そして、こう言った。
「まったく目が見えなくても
何に一番似ているかよくわかるぞ。
まちがいあるまい。
この象という生き物は、うちわのようであるぞ!」


6番目の男は象に手を伸ばすと、
すぐにゆらゆらゆれるしっぽを掴み、
こういった。
「なるほど、象とはのようであるぞ!」


それから、このインドスタンの男達は
長いこと大声で言い争い、
それぞれが自分の意見を譲らず、言い張るだけだった。
それぞれ正しいところもあるが
またどれもが間違えているのだ。


ジョン・ゴドフリー・サックス
(1816-1887)

戦略サファリという本の冒頭に引用されている寓話。なんと耳の痛い寓話だろう。笑
物事を見るときは、昨日のエントリで紹介したような
「抽象化」
というプロセスの他に、
「俯瞰化」
するという事もとても大切になる。ズームアウト思考ではなく、ズームイン思考。この寓話において、たとえば六人目の男が俯瞰的観察眼をもっていれば、こうなったに違いない。

6番目の男は象に手を伸ばすと、
すぐにゆらゆらゆれるしっぽを掴み、
こういった。
「なるほど、象とは壁のようであり、槍のようであり、木のようであり、ヘビのようであり、うちわのようであり、また縄のようでもある。我々が全員違う象に触ったのであればいろいろな種類の象がいるのが分かるし、我々が全員同一の象に触ったのであれば、色々な部位が発達している大型動物であるという事がわかる。どちらが正しいかは、目の見える人に一言尋ねてみればいい。」