Thee Rang 跡地

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印鑑社会とサイン社会

 本は印鑑社会だと言われる。たぶん日本の成人で自分の印鑑を持っていない人などいないだろうし、それも「印鑑登録」している実印と「銀行届け出」している銀行印・・・など、重要な印鑑を2つ持っている人が大多数ではないだろうか。
僕も大学進学と同時に印鑑というのを持つようになった。印鑑登録はともかくとして、訳がわからないまま銀行に届出して、三文判の印鑑で通帳を作成して以来、未だにこの100円ショップで買った安物の三文判の呪縛から逃れられないでいる。
出先で銀行印が必要になるような時(引き落とし先の指定書類を記入する時など)、いつも「ああ〜、あの印鑑机の奥にしまってある!帰って押印しなきゃ…」などと頭を抱える事がしょっちゅうある。

印鑑リスク
僕は常々、この『印鑑社会』に対して疑問を抱き続けている。

そもそも、IT真っ盛りのこのご時世、あんなものを本人証明として使うという神経が時代遅れであること甚だしい。あんなもの、高校生でも簡単に偽造できそうだが、ヘタをするとそのせいで預金を勝手に下ろされたり、振込をされたりすると思うとぞっとする。
たとえば、よーく洗った印鑑を粘土に押し付けて、そこに石膏を流しこんで型を取る、だとか、印影をPCでScanして拡大し、丁寧にトレースしたものを彫り込むだとか、素人の僕でも、対して手間がかからず印鑑の複製など可能なような気がしてくる。

文化的背景や伝統工芸、など印鑑をめぐっては利便性の一言で片付けられないものであることは百も承知であっても、この非効率性とセキュリティリスクは到底看過できるものでは無いように思う。
そもそも、発端としては江戸だか明治だかに印鑑によって本人確認を行うよう定められたそうなのだが、それを2011の現在まで引っ張っているのがよく分からない。どっかの御大臣の親戚にはんこ職人でもいるのだろうか。

サイン取引をはじめよう
日本では、不動産取引やローンを組む際など外国人も実印が必要となる場面があり、外国人であっても当て字やカタカナなどを用いて特注の印鑑をつくるケースは非常に多いが、銀行印に関しては、主要取引機関ではサイン取引が認められている事が多い。銀行ごとに規則が異なるので確認が必要だが、安全性と利便性を考えると、銀行の届出印に印鑑を使うメリットなど無いに等しい。
クレジットカードだって、いまさら無い生活など想像できないくらいいつもいつも使っているが、あれに印鑑は必要ないし、印鑑を必要とするべき、という声も聞いたことがない。ということは、やはり無用のものだったのだと判断できる。
日本ははんこから脱却するのか
日本と同様に印鑑社会だった香港は、全面的にサイン社会へと舵を切った。日本でも、古くは花押といって、サインによって本人認証をするような文化がもともとあった(花押は、現在でも慣例として閣僚署名にて使用されるケースがある)。

現状として本人を公的に証明する仕組みが印鑑登録、印鑑証明しか無い以上は実印はどうしても必要となってしまうが、無用な認印や銀行印というのは本当に不便で有効性に疑問がある。メインがサインで、好きな人は印鑑を使うくらいのほうが個人的に快適な気がするし、遠からず実印も廃止され、サインで本人認証ができるようになる事を期待している。